イングロリアス・バスターズ(2009年、米) ―場外ホームランのバスターズ

イングロリアス・バスターズ [DVD]
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『イングロリアス・バスターズ』(2009年)
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:ブラット・ピット、クリストフ・ヴォルツ、イーライ・ロス、メラニー・ロラン、ダイアン・クルーガーetc

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

2009年12月、クエンティン・タランティーノ監督&ブラピ主演の最新作が遂に出た!と私は興奮した。しかもその話の内容たるや、戦争娯楽作という大衆にまったく受けなさそうなタランティーノらしいマニアックさが、タランティーノマニアの筆者としては、これまたツボだった。

ブラピを隊長とする「キル・ナチス」を使命に戦う殺し屋集団と、ユダヤ人刈りから逃れた少女の反ナチスの闘争を描く。これが『イングロリアス・バスターズ』だ。ナチス兵の頭の皮を剥ぎ取ったり、黙秘により死を選んだナチス上官を「場外ホームラーン!!」と叫びつつ、バットで叩き殺すイーライ・ロスの狂気のシーンなど、もはやスプラッター。『ホステル』シリーズの名物監督がこのような形で登場するとは。まさしくタランティーノ・ファミリーが大集結。キャラ盛り沢山で殺戮も盛り沢山。

ハードな暴力描写も多々見受けられ、『レザボア・ドッグス』(91年)で見られる容赦ない殺戮(父親になったばかりの兵士が取引に応じたに関わらず、あっけなく殺されてしまうなど)が本作でもさらに加速する。しかし、見どころは実はスプラッターではない。カンヌで男優賞を取ったクリストフ・ヴァルツのランダ大佐(ユダヤ・ハンター)だ。

「ユダヤ人は、ラットだ」。巧妙に構成された会話。尋問。これによって、「イヌ」を暴き出す。ユダヤ人をかくまる農園の鬼気迫る空気の中、ランダ大佐はサイコな視線と表情で迫る。最大10分以上だけがすべて会話。今回はドイツ語・フランス語・英語を使い分ける。さすが会話の魔術師、タランティーノだ。

物語の80%以上が会話で構成されていると言っても過言ではない。会話だけで、表情がゆがむ。涙がこぼれる。そして、一瞬で殺戮が終わる。対話によってランダは相手の心を裸にし、一瞬ですべてを奪ってゆくのだ。まさしく名ヒール。ランダは、監督自身がベスト映画と称賛するセルジオ・レオーネの『夕陽のガンマン』(66年)のリー・ヴァン・クリーフに匹敵する。彼の存在が、物語を「ナチス×反ナチス」という単純な善悪の二元論から逸脱させるのだ。三巴の対立による爆発的なフィナーレを盛り上げる。

 やってくれたぜ、タランティーノ。彼自身も街ではビックイシューにも表紙を飾り、ソフトバンクのCMにも登場した。そして、蓋を開けてみれば映画も自身最大のヒット作。

作品公開から一年半以上経った今、思い返しても、このような異質のテーマの映画がこれほどまでに商業的にも成功して稼いだのは異例ではないか。アカデミー賞でもクリストフ・ヴォルツはカンヌと共にダブル受賞。

やっぱりこれは、まさしく場外ホームラン。

(Written by Kojiroh)

※引用:イングロリアスバスターズを見て|世界の始まりとハードボイルド

【点数】
★★★★★★★★☆☆ / 8.0点

牧歌的な日常のなかに、ぴんと張られた一枚の寝具。風に吹かれて翻る向こう側の景色には、ハーケンクロイツをはためかせ近付く、ナチス・ドイツの車輛たち。ここは占領下のフランスだ。観衆は此岸から、自らの持つ歴史の文脈に物語を重ねる。スクリーンに定着するイメージはまた、彼岸に映し出されたひとつのハイパーリアル(hyper reel)を提示しているだけに過ぎない。冒頭から、この物語は映画の不可能性を証明している。巧みにも映画である自明さを持ちこたえながら、誰しもに解読可能な公共の暗号として一枚のシーツを選び、スクリーンに見立てた。

タランティーノ監督2年ぶりの新作は、イタリアのB級作品『地獄のバスターズ』のリメイクだ。物語はナチス占領下のフランスを舞台に、独立愚連隊と化した連合軍の特殊部隊と女スパイ、一方ではユダヤ人狩りを逃れ、復讐を誓う映画館主の女性とドイツ軍の兵卒を軸に描かれた。国策映画の試写会を標的に、ドイツ軍抹殺をはかるバスターズ。時を同じくして、自らの劇場に火をかけてまで失われた家族への想いに報いようとする女主人。それぞれの作戦が始まる。主演には露悪的な造作を施したブラッド・ピット、女主人には自身もユダヤ系のメラニー・ロラン。

シネフィルと呼ばれる者たちは、しかし、この作品の猟奇性と悪ふざけに辟易することだろう。敵兵を殺し、頭の皮を削ぎ落とす光景は戦闘の残虐性を弄び、食事のシーンでは口と菓子とを交互に映しながら、極めて不愉快な音を立てたままドイツ兵とユダヤ人との心理戦を絡める。だが、こうした悪ふざけの数々は極めて精緻な繰り返し構造のなかに用いられており、暴力は観衆に宿る根源的な感覚と呼応し、互いを映すスクリーンの役割を期待した装置に過ぎない。国策映画の主役を演じた兵卒は、首を傾げながら複製された現実を観る。バスターズを率いる男はドイツ兵に鍵十字を刻み、「これが俺の最高傑作だ」とさけぶ。ナチスを呪った女主人は、自らの最期をフィルムに託し、焼け崩れるスクリーンのなかで、いと高らかに笑ってみせる。

映画と現実、彼岸と此岸。ダブル・ミーニングへと託された、絶え間ない往還と反転する交替。これは、映画を誰よりも愛するが故に映画を告発せざるを得なかった男の、かなしい企みだ。

(Written by うえだしたお)

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