『続・荒野の用心棒』(1966年、イタリア)―マカロニウェスタン初期の影の名作


『続・荒野の用心棒』(1966年、イタリア)―92min
監督:セルジオ・コルブッチ
脚本:フランコ・ロゼッティ、ホセ・G・マエッソ、ピエロ・ヴィヴァレッリ
出演者:フランコ・ネロ、エドアルド・ファヤルド、ロレダーナ・ヌシアク、ホセ・ボダロ etc

【点数】 ★★★★★★★☆☆☆/ 7.0点

クエンティン・タランティーノが最新作『ジャンゴ』を遂に来年6月にリリース。http://www.youtube.com/watch?v=VYQDZ7ofEFA

そんな彼のDNAの原点とも言えるのが、マカロニウェスタン。代表的な監督セルジオレオーネの作品の影に隠れているが、本作、元祖・『ジャンゴ(続・荒野の用心棒)』も名作と名高い。

レオーネの『荒野の用心棒』とは全然関係ないが、シリーズものとしてヒットさせようとしてこのような邦題になったのだろう。ツタヤの本当に面白い映画にもピックアップされている隠れた名作として有名なマカロニ・ウェスタンだ。

◎あらすじ
メキシコ国境の寂れた町。マリアという商売女を助け、町を牛耳る権力者の一派を皆殺しにした流れ者ジャンゴは、革命軍と共にメキシコ政府の金を奪うが……。
<allcinema>

単純なストーリー、陳腐にジャンゴを連呼するテーマ曲。砂漠と照りつけるような太陽、強烈かつ西部劇にしては残酷すぎる描写、拷問など。

寡黙かつ、主人公が完全なる善でないところがまさにマカロニ。とにかくハードボイルドで強い男。ギャングを追い込むも、またしてやられるとこなんかは『荒野の用心棒』にも通じるところがある。

だが本作はレオーネの作品以上に、奇抜なアイディアが盛り込まれている。

タランティーノやロバート・ロドリゲス風の映画の原点になっているように思える、西部劇らしからぬ奇抜な発想がいい。棺おけ、その中にガトリンクガン。まさにエルマリアッチの元ネタ。

全般的に、泥臭いヴィジュアルイメージが強烈だ。
泥まみれになりつつ、墓地でのラストシーンには意表を突かれる。レオーネにも通じる部分があるが、それとはまた別なテイストで、その時代の代表的なマカロニウェスタンになったのであろう。

しかし、やはりイーストウッドの演じたレオーネのジョー、「名無し」、ブロンディと比較すると、フランコ・ネロでは少し役不足に思えてしまう。まあ、あくまでレオーネのイーストウッドがすごすぎるというだけなのだろうが。

比較して見ると、シーンの発想は奇抜で面白いが、役者の技量だけでなく、モリコーネの音楽、演出の技量など、普遍的なモノがあるのはやはりレオーネなんだろうなと。その意味で、本作の方がどうしても古臭さがあり、本家の陰に隠れてしまった一作の所以なのだろうか。

kojiroh

『パラノーマル・アクティビティ』(2007年、イタリア=アメリカ)―5.0点。135万を90億にしたアイディア映画だが…


『パラノーマル・アクティビティ』(2007年、イタリア=アメリカ)―86min
監督:オーレン・ペリ
脚本:オーレン・ペリ
出演者:ケイティー・フェザーストン、ミカ・スロート、マーク・フレドリックス etc

【点数】 ★★★★★☆☆☆☆☆ / 5.0点

――全米No.1大ヒット、スピルバーグが「これ以上の映画を作ることはできない」とリメイク化を諦めた超話題作

こんなコピーを見て心が揺れた。
予告編に煽られて、「これは見るしかないだろ!」との面持ちで挑んだ話題の実験的映画『パラノーマル・アクティビティ』。

約135万円で制作され、限定12館、しかもレイトショー公開でスタートした作品が公開5週目にして全米1位を獲得し、翌週には遂に興収1億円ドル(約96億超)を突破した超常ムービー。こんな話題を耳にすると見ないわけには行かないという気分になる。

一体、どんな映画なのか…。

◎あらすじ
同棲中のカップル、ミカとケイティーは夜な夜な怪奇音に悩まされていた。その正体を暴くべくミカは高性能ハンディーカメラを購入、昼間の生活風景や夜の寝室を撮影することにした。そこに記録されていたものとは…。(Wikiより引用)

まあ…、アイディア勝ちの作品でした。
想像した以上に、いや、煽られた以上に面白くない。
ブレアウィッチなど元祖のフェイクドキュメンタリーの手法、モキュメンタリーのやり方で、自分たちに起きている異変を探るためにカメラを設置し、それを21日間続ける。ただそれだけ。

申し訳ないが、最後のシーンに至るまでがぐだぐだにしか思えず、見るのが若干苦痛であった。

さらにこの同棲カップルが、デイトレーダーと大学生という設定であることがなんだか興味深いがよくわからない。どうして二人が繋がったのか気になる。女のケイティはそんなに可愛くないし、個人的な感情としては太りすぎでイライラする。(デブ専の人にはいいのかも?)

ヒロインが『REC』みたいに美人ならまだ少しは追いたくなったのだが、ケイティじゃねえ……「早く死んでいいよ」というのがぶっちゃけ本音です(笑

それにしても、なんでこの映画はリメイク諦めたのか?
スピルバーグなら全然再現できそうな気がするが、ともかく挑戦心と低予算でココまでの映画を作れて、さらにヒットを飛ばした点は賞賛したいが、純粋に一時間半の尺で楽しんでみる映画としてはかなり退屈でつまらない部類に入ると思う。

その意味で、このレベルの映画でヒットさせた実験性やマーケティングとか、そういう点を評価すべきなのかもしれない。

アイディア一つで135万を90億にしたのは偉大な業績だとは思う。低予算でアイディア勝負で映画を作りたいと思っている人は必見の一本であろう。

kojiroh

『サンゲリア』(1979年、イタリア=アメリカ)―9.0点。残酷ゾンビ映画の古典


『サンゲリア』(1979年、イタリア=アメリカ)―91min
監督:ルチオ・フルチ
脚本:エリザ・ブリガンティ、ダルダノ・サケッティ
音楽:ファビオ・フリッツィ
出演:イアン・マカロック 、ティサ・ファロー、リチャード・ジョンソン、オルガ・カルラトス etc

【点数】 ★★★★★★★★★☆ / 9.0点

ジョージAロメロの伝説的な『ゾンビ』(1978年)にならぶカルト的人気を誇るゾンビ映画の金字塔が、イタリアのルシオ・フルチ監督による本作『サンゲリア(Zombie2)』。

ありふれたフラグ立ちまくりの展開、冒頭からグロテスクなゾンビ、眼球破壊、陳腐ながらも妙に味のある音楽、苦悩するドクター、狂いだす歯車……とにかくB級ゾンビ映画のツボをすべて抑えたかのような古典的ゾンビ映画がルシオ・フルチのサンゲリアだと思う。


◎あらすじ
ある日、ニューヨーク湾内で奇妙な事件が発生した。漂流中のクルーザー内に踏み込んだ警備船の警官2名が、全身腐乱した男に襲われた。警官1人が犠牲となり、男は全身に銃弾を打ち込まれて海中に姿を消した。クルーザーの持ち主である娘アン・ボールズ(ティサ・ファロー)と新聞記者ピーター・ウェスト(イアン・マカロック)は、行方不明となっているアンの父親を探すため、アメリカ人夫婦ブライアンとスーザンのクルーザーに同乗し、カリブ海に浮かぶマトゥール島へ向かう。だがそこは謎の疫病で死んだ者が蘇り始めていた…。(WIKIより引用)

ゆっくりと迫りくる死者、ブードゥー教の謎。
『ゾンビ』などと酷似している部分もあるが、しかし本作のゾンビの生々しいグロテスクさはショッキングである。古臭いのだが、ウジ虫がわく蘇る死者は、一つの新しいゾンビ像を描き出したのではないか。

特にこの眼球破壊シーンの痛さは郡を抜いている。肉体の部分的破壊を残酷に表現していて、とにかく痛い。えぐいほど出血して、チャチさはあるがグロい。

他にも、サメと戦うゾンビなど実験的なアイディアと挑戦心が盛り込まれている。火炎瓶で燃え上がるゾンビたち。そこまで派手なアクションシーンはなく、それ以上に迫り来る謎と、蔓延するゾンビの緊張感、守り立てる単調ながら味のあるテーマ曲、この雰囲気がいいのだ。


放射能や化学物質ではなく、ブードゥーという宗教的な側面からゾンビの謎を追うドクターと主人公だが、結局は蘇る死者を止めることができない。


ニューヨークからカリブ海へ。
低予算ながらもニューヨークを舞台にゲリラ的に撮影した本作は、ぱっとみは気付かないが色々と突っ込みどころがある。最後のブルックリン橋でのシーンなど、よく見ると下の車が普通に動いていて、完成度的には突っ込みどころが満載。

しかし、なぜか引き込まれる。
完成度の低いラストシーンであるが、それでも本作の救いのない、無限に広がってゆくゾンビワールドを想像してしまう後味の悪いラストが完璧だと思えた。

ルシオ・フルチの恐怖&残虐シーンの描き方も秀逸であるが、それ以上にゾンビという題材を使って、B級でグロテスクでベタな映画の金字塔を作り出した部分に本作の最も評価すべきだろう。

本家『ゾンビ』以上に、すっきりと短い尺でカルト的要素がある『サンゲリア』の方がなぜか愛すべき映画に思えている。

kojiroh

『続・夕陽のガンマン』(1967年、イタリア=アメリカ)―9.0点。マカロニウェスタンを越えた名作


『続・夕陽のガンマン』(1967年、イタリア=アメリカ)―161min
監督:セルジオ・レオーネ
脚本:ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ。フリオ・スカルペッリ、セルジオ・レオーネ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演者:クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、イーライ・ウォラックetc

【点数】 ★★★★★★★★★☆/ 9.0点

「The good, the bad, and the ugly」
クエンティンタランティーノ監督が自信が選ぶ最高の映画として選ぶ不動のカルトムービーが本作『続・夕陽のガンマン』。

イタリアのマカロニウェスタンの巨匠、セルジオ・レオーネが過去の『荒野の用心棒』などイーストウッドとのヒット作をバネに過去最高の制作費を投じて作り上げた二時間半以上に渡るスペクタクル。


舞台は、南北戦争末期の西部。
ブロンディ(イーストウッド)とトゥッコ(ウォラック)の二人はコンビを組んでお訪ね物と絞首刑から救い出す茶番を繰り返して賞金をかせいでいたが、この商売も次第にあぶなくなってきて、ブロンディはトゥッコを裏切る。復讐に燃えるトゥッコ。その裏側で南北戦争の埋蔵金を巡るエンジェル(クリーフ)の野望が交錯し、三つ巴の地獄の決死が始まる…。

冒頭、『イングロリアスバスターズ』のオープニングに影響を与えたかのようなシーン。会食をするかと思いきや、残酷なエンジェルの仕打ち。草原と荒野、馬、そして銃撃。エンニア・モリコーネの口笛のようなテーマ曲が鳴りひびき、物語が回りだす。

ちなみに「続」とタイトルに付いているが、前作『夕陽のガンマン』とはまったく関係ない。出演陣が似ているだけで、前作とは何の関係もない。

キャスティングは似ているが、『夕陽のガンマン』よりも暴力的で、さらに男たちの友情を徹底的に皮肉り否定するようなダーティーな作風。さらに南北戦争が舞台になることで、まさしく西部劇と戦争映画が融合した究極のバイオレンスアクション・エンターテイメントにまで本作は上り詰めることに成功したのではないか。

本作の最大のキモは、三つ巴の対立構造を見事に描ききった映画であることだ。「善玉・悪玉・卑劣漢」。
この手法はのちのちタランティーノの『レザボアドッグス』や『トゥルーロマンス』に大きな影響を与えることになる。

しかし観れば観るほど味が出る。顔面のアップと広大な自然や舞台を引きで絵画のように撮影して対比する手法や、特にキャラクター設定の巧み。レオーネ監督の集大成とも言える様々な要素が複合されている。

「人間の顔とは地図のようなものだ」
と語るような、しつこいまでの顔面のアップが迫力大。


そして南北戦争を背景とすることで、戦争に死に行く大佐と、橋を爆破することで道を開くシーン。そして戦争の吹奏楽隊が音を鳴らしながら、裏側で拷問を行うバイオレンスなど、とにかく戦争の風刺を交えた西部劇を超えるウェスタンだ。


しゃべりまくるイーライ・ウォラックとクールで寡黙なイーストウッド。
この二人の私欲にまみれた腐れ縁がかつて観たこともないようなシュールな名コンビを作り出した。ビルカーソンを名乗らせてチュッコをはめるブロンディなど、二人の醜悪な騙しあいがシュールで笑える。そして二人を傍観するかのような冷酷なリーヴァンクリーフ。

最後に迫り、モリコーネの音楽と共に墓地を走り抜けるトゥッコ。疾走間と高揚感が入り混じるラストへの道筋は鳥肌もの。


本作ではイーストウッドが善玉であるが、彼自身も卑劣なところがあり、実力者の正義面であるが、結局はこの作品に「善」など存在していない。戦争とは、争いとは、善によって決着が決まるものではなく、勝った者が善なのだと言わんばかりの普遍的なメッセージを感じる。

男と銃と金、そして裏切り卑劣。
汚いテーマで、ただひたすら泥臭い。
絞首刑になりそうなトゥッコ、砂漠から生還してガンショップで強盗をするときの店主とのやりとり、砂漠の中を水を奪われて死に掛けるブロンディ、拷問されて目を潰されそうになるシーンや、トイレと見せかけて列車から飛び降り、暴力的でありつつも無数のアイディアが散りばめられた名シーンの数々。

恐ろしいほど女ッ気がなく男だらけのむさくるしい映画であるが、それがまたハードボイルド。シビれるぜ、セルジオ・レオーネ。

コアな映画ファンを魅了して止まないエッセンスが満載の、マカロニ・ウェスタン屈指の名作であり続けるであろう。

kojiroh