『恋の罪』(2011年、日本) ―7.0点。ロマンス要素なし、官能地獄のエンタメ映画

『恋の罪』(2011年、日本) 144min
監督・脚本:園子温
出演:水野美紀、冨樫真、神楽坂恵、児嶋一哉、二階堂智、小林竜樹、五辻真吾、深水元基、町田マリー、岩松了、大方斐紗子、津田寛治

【点数】
★★★★★★★☆☆☆ / 7.0点
※リアルタイム映画評

さて「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」の鬼才・園子温監督の最新作『恋の罪』。

カンヌ映画祭にも出品した作品であり、水野美紀、冨樫真、神楽坂恵を主演に迎えて、実在の東京・渋谷区円山町のラブホテル街の殺人事件をベースに描く愛の物語。ということで園フリークの筆者としては、こんな話題作を劇場で観ないわけにはいかないと思い、公開翌日に渋谷ヒューマントラストに足を運んだ。

所感、まあ、つっこみどころの多い映画だった。
しかし、だからこそ見所のある映画でもある。


さてあらすじであるが、仕事とプライベートのバランスを保つため愛人を作り肉欲に溺れることが辞められない刑事(水野美紀)、エリートな家柄ながらも夜は街で体を売る大学助教授(冨樫真)、小説家の夫を持ちながらも昼間を持て余し、道を踏み外す平凡な主婦(神楽坂恵)、この3人の女の生きざまを殺人事件を軸にして描く。一言で言うとエロティック・サスペンスである。

相変わらず実験的なやり方で初っ端から観客をぐいぐい引き込む手法はさすが。細かい演出に拘っているがエンタメ心は忘れていない。物語の謎が次第に明らかになってゆくので緊張感があり、2時間半近い上映時間をまったく感じさせないのはさすがだと思った。


冒頭からの水野美紀のフルヌードであったり、冨樫真の鬼気迫る演技、脇役も冴えていて、町田マリーのAVスカウトの異様なテンションや、大方斐紗子の甲高い声による狂気の会話力には息を呑むと同時に笑いが噴出した。


神経質な小説家の夫のためにスリッパをそろえてお茶を入れたり、降りしきる雨の中の事件、そして廃墟のアパートからもれる雨、弾けるピンク色のカラーボールなど細かい小道具を上手く使い、一癖も二癖もある個性ある役柄が物語で浮き立つ。


しかし神楽坂の過剰な距離感、「ここまでやらせるの?」と思うほど過激、というか半分変態的なR-18当たり前の性描写といい、まさしく完全に園子温の神楽坂への愛のむきだしだったな、というのが素直な感想。

そして恋、ロマンスへの罪ではなく、肉欲や禁じられた遊びへの罪であり、タイトルも間違えている。色々、間違っている映画だと思う。

しかしAVモデルへの勧誘に乗って道を踏み外す主婦やエリート大学教授が退屈で虚構めいた日常を捨てて危険な遊びを冒す展開や、デリヘルを呼ぶんで遊びことで刺激を得て、そこから創作活動へ従事する小説家の実態など、業界関係者しか分からないようなディープな領域に踏み込んでいるのが虚構とは思えぬリアリティを感じた。

売春がどういうことか、お金を貰って体を売ること、AV、デリヘルなど現代の資本主義社会で当たり前のように氾濫する女が体を売ることへの考察で溢れていて、テーマとしては興味深い。

しかしいつも思うが、園子温の映画は極めて小説的に構成されている。チャプターをしっかりと区切り、登場人物のナレーションを登場させ、細かい人物の心理や性癖を描くことを忘れない。いくつか彼の作品を見ていると、全てが実験映画的であるが、実はそのパターンが似ていることに気付く。

それはさておき、本作は実験的でもあるが、極めて私的な告白である気がする。園監督自身が売れない時代にポルノ映画を撮っていたり、女にモテずに苦労した若い時代を生きたと噂される園子温、だからこそ『恋の罪』とはまさに彼自身の告白と愛の物語であるように思えた。

そして本作を経て結婚発表した園と神楽坂のベッドインキャンペーンのような作品なので、決して否定はしない。制作上の関係か、完全に助演で終わってしまった水野美紀の名前が一番前に来ていることが残念過ぎるが、まあそんなネタっぽさもあったり、むしろぐいぐい引き込む語り口は圧巻だったし、純粋に楽しめる。神楽坂もよくぞここまでやったなと、私は本作を肯定的に捕らえたいと思います。

園子温監督のご結婚を祝いの意味で、劇場で本作を観た価値はあったなということで、ご結婚おめでとうございます。

Written by kojiroh

『紀子の食卓』(2006年、日本) ―8.5点。既存の日本家庭をえぐるアンチテーゼ物語

『紀子の食卓』(2006年、日本)159min
監督・脚本:園子温
出演者::吹石一恵、つぐみ、光石研、吉高由里子、宮田早苗、並樹史朗、三津谷葉子、手塚とおる

【点数】
★★★★★★★★☆ / 8.5点

鬼才・園子温の出世作『自殺サークル』(2001年)の続編、というよりアナザーストーリーのような物語。カルロヴィヴァリ国際フィルムフェスティバル:特別表彰・FICC賞を受賞した国際的にも評価の高い作品で、園監督の描く世界観の原点でもあり集大成とも呼べるような長編だ。


あらすじは、田舎に住む17歳の平凡な女子高生・紀子は、家族との関係に違和感を覚え、インターネットのサイト「廃墟ドットコム」で知り合った女性を頼って東京へ家出する。そこで知る「レンタル家族」という虚構の世界の仕事で生きていくのが…。


登場人物の3人の女性の視点を中心に語られる本作であるが、よく練られたナレーションが思春期の少女の心情を感じさせられる。それぞれの視点が浮き立ち、登場人物の内面に深く迫ろうとした行いであるが、少しナレーション過剰のように感じなくもない。もともとは監督本人が書いた小説がベースになっていることもあり、繊細な心理描写になる。その反面、魅力的な演技陣によって冒頭から物語にぐいぐい引き込まれるのは園子音流、細かい脇の人物や小道具の引っ張り方が秀逸で、三津谷葉子演じるみかんちゃんであったり、コインロッカーに入れられた毛糸であったり、ノートの筆圧につづられた物語であったり、世界観に引き込まれる。

印象的なシーンも特に多く、バラが咲いたの音楽と共に展開される暴力シーンは、マーティン・スコセッシがよくやる、暴力シーンで明るい音楽を流すという手法に匹敵するショッキングな名シーンだと思った。

厳しい演技指導で有名な園子温の才もさってか、鬼気迫るような迫真の演技を見せる役者陣には目を奪われるが、父親を光石研も『愛のむきだし』の渡部篤郎に匹敵するハマり役であり、物語の重要な視点の一つとなっている。しかし本作は女性が主人公の物語だ。女性を本当に上手く描いている。


主に、吹石一恵、つぐみ、吉高由里子の3人による女優合戦だ。紀子の食卓というタイトルながら、なぜか園監督の映画では主役を助役が食ってしまうパターンが多く、本作もメインは謎めいた役で圧倒的な存在感を示すつぐみが群を抜いている。次いで吉高の繊細で透明感のある演技が非常に初々しく素晴らしい。本作が彼女のデビュー作でもあるようだが、そうとは思えない圧巻の演技だ。

ラストシーンは賛否両論のような内容であるが、個人的には保守的で平和を永遠に信じているかのような典型的な、のほほんとした日本の家庭が崩壊し、再生へ向けて奮起するも精神崩壊、人格崩壊、そんな残酷な結末を微妙なラインで描き、シュールなようでもあり、わけのわからない次元に突入したような、取り戻すことのできない平穏を皮肉に描いているように思える。

『自殺サークル』の関連性も多々あるが、本作はテンションが全く違いつつも、その前作での謎がより明らかになる内容なので、語られる視点が多く少し複雑でもある。ナレーションが多く、時間もやや長い作品ではあるが、とにかく日本映画の快作であることは間違いない。

園子温という監督の根源にある要素や、彼が問い続けたテーマが集約された真の集大成のような作品である。

Written by kojiroh

『プリンセス・トヨトミ』(2011年、日本) ―6.5点。大阪文化総動員のSF(?)大作

『プリンセス・トヨトミ』(2011年、日本) 119min
監督:鈴木雅之
脚本:相沢友子
出演:堤真一、綾瀬はるか、岡田将生、沢木ルカ、森永悠希、江守徹、菊池桃子、笹野高史、和久井映見、中井貴一

【点数】
★★★★★★☆☆☆ / 6.5点

※リアルタイム映画評

「その日、大阪が全停止した」。
このキャッチコピーで話題の映画、万目学のベストセラーの映画化である。

口コミで評判がよかったので、ベタな映画だとも思いながらも筆者は劇場へと足を運んだ。

プリンセストヨトミ、豊臣王女?
一体どういう物語なのかまったく予備知識なく見に行った。そんな前知識なしで行ったことも幸いしてか、所感としては、ずばりなかなか見応えのある面白い映画だった。


さてあらすじであるが、突如として大阪府で一切の営業活動、商業活動が一斉に停止した。物語はそこからさかのぼること10日前、東京から訪れた会計検査院の調査官3人と、空堀商店街に住む2人の中学生の、一見何の関わりもない行動を中心に描かれる。

監督は鈴木雅之、テレビドラマなども多く手がけている彼だが、本作でも顔面のドアップなど彼流の演出が冴えていた。堤真一のドアップのシーンなどは映画館で見るとなかなか迫力があった。

特に原作がいいというのが大きいだろうが、東京と大阪、その二つの大都市の文化的な差異であったり、歴史的な生い立ちの違いを強く感じさせる話だった。東京・大阪という大都市によって繁栄してきた日本に生きる僕らにとっては見る価値の大きな映画である。

とはいっても、かなりファンタジーの要素が強い物語ではある。奇想天外な発想によるこの物語は好みではなかったが、細かい小道具のパンチが効いていることもあり、それなりに楽しむことができた。堤真一がいつも舐めるアイスクリーム、大阪風串揚げ、お好み焼き、とにかく本作は食事のシーンが独創性豊かで素晴らしい。


そんなくせ者三人の大阪出張を舞台にした物語であるが、その名トリオっぷりが最後は愛おしく思えてくる。

大阪フリークな私としては、なかなか楽しめる一本であった。大阪を描いた秀逸作であることは間違いない。

Written by kojiroh

『鉄男 -the iron man-』(1989年、日本) ―7.0点。金属化する現代人の叫び

『鉄男 the iron man』(1989年、日本) 67min
監督・製作・脚本・美術・撮影・編集: 塚本晋也
音楽: 石川忠
出演: 田口トモロヲ、塚本晋也、藤原京、叶岡伸、六平直政、石橋蓮司

【点数】
★★★★★★★☆☆☆ / 7.0点

今年度の『kotoko』のグランプリ受賞で、今やベネチア映画祭を沸かせる世界の映画監督・塚本晋也。彼の存在を最初に世界に知らしめた作品、それが本作『鉄男』だ。


ローマ国際ファンタスティック映画祭のグランプリを受賞して話題になったカルト映画。ある事件をきっかけに身体が金属化してゆくというSFチックでもあり、社会風刺でもあるような作品だ。

『AKIRA』からの影響も感じさせる本作の異様なテンションにはたびたび驚かされる。ワンシーンワンシーンがアイディアの結晶で、製作者の汗も感じるし。コマ撮りの手作業で作られたであろう地道なSFXシーンには、なんだか逆に手作りの良さをも感じる。そこにただならぬ才能も感じる。その時代に、自主制作でこんなすごい作品を作れたことが驚きだ。

モノクロの映像に異様な雰囲気で醸し出されるその映像感覚は、デビッド・リンチの処女作『イレイザーヘッド』(77年)にも匹敵する中毒になる不気味な面白さがある。

基本的に会話などはほとんどなく、金属化する肉体に恐れ、叫び続けるだけの物語とも言える。それほど異常な叫び声が生々しい音で録音されている作品だ。登場人物の関係性もフラッシュバッグなどの断片的なシーンで読み取ることはできるが、基本的にそこまで意味はない。

内容のテーマとしては、金属化して狂ってゆく現代人、というブラックユーモアなのではないかと思える。

石川忠の音楽がインダストリアルメタルのように響き渡り、映画というよりある種の映像作品のような作品であり、無駄に荒々しく長い部分もあるが、なぜだろうか、もう一度見たくなる中毒性がある。

特に塚本晋也は電話の使い方が本当にうまい。ストーリーを伝えるために電話でのメッセージを巧みに使う。その手法は後に『六月の蛇』でも引用されている。

良くも悪くも塚本晋也の原点にして、その才気を全て堪能できるような作品だ。

尚、本作はナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーも絶賛し、後の『鉄男 the bullet men』での楽曲提供に繋がった、まさに後年に大きな影響を与えた世界を圧巻させた歴史的一作だ。

鑑賞後、しばらくして何やらまた見たくなる衝動に襲われている。

(Written by kojiroh)

『アウトレイジ』(2010年、日本)、―9.0点。新しい時代に送る映画


『アウトレイジ』(2010年、日本) 130min
監督・脚本・編集: 北野武
音楽:鈴木慶一
出演: ビートたけし、三浦友和、椎名桔平、加瀬 亮、國村 隼、杉本哲太、塚本高史、中野英雄、石橋蓮司、小日向文世、北村総一朗

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

冒頭から典型的な黒い車のヤクザ軍団。鈴木慶一の音楽、迫真の表情のアップ、黒い車と赤いランプが4台重なる独創的なシーン、渋い声の会話で始まるヤクザなバイオレンスエンターテイメント、そして怒涛の罵声と暴力。

北野武の最新作『アウトレイジ』はかつてないほどカッコよく、怒鳴りあいの役者合戦が展開されるエンタメ暴力劇だった。かつてこんなドキツイ暴力で、笑えるような楽しさを見せてくれる映画があっただろうか。それでいて北野武らしい遊びの映像アイディアも随所で見られる。キタニストにとってはお腹一杯の一作だ。

あらすじは単純で、巨大暴力団組織・山王会組長の関内(北村総一朗)が若頭の加藤(三浦友和)に、池元組の組長・池元(國村隼)に苦言を申し、村瀬(石橋蓮司)組と池元の関係が悪化し、配下である大友組の組長・大友(ビートたけし)にその厄介な仕事が任される。こうして、ヤクザ界の生き残りを賭けた戦争始まる…。

寡黙なたけし映画にしては珍しく、本作は会話も多く、一瞬のアクションシーンで、パッパと展開が進む。分かり安いベタな展開で紛争が起こり、広がり、黒幕の陰謀に翻弄されつつ破滅に向かう。

過去の名作『ソナチネ』にも似た展開だ。しかし、激しく、残酷で、逆に笑える展開の速いバイオレンスは、過去にはないエンタメ要素を感じる。花村萬月さんの『笑う山崎』にも通じる残酷で奇抜な殺し方がある。

出演者も今までの大杉蓮や寺島進などの常連・武軍団は息をひそめ、三浦友和、椎名桔平、加瀬亮、國村隼、石橋蓮司、小日向文世、杉本哲太、北村総一朗、塚本高史、中野英雄など、日本の超名脇役・準主役クラスの俳優たちが脇の脇まで集っている。こんなに個性的な顔ぶれが罵倒合戦をするファンにはたまらないラインナップだ。

「ぶち殺すぞコラ!」
「なめてんのかコラ!」
「俺たちはコケにされてんだぞ、お前らわかってんのかぁ!」

この罵倒の演技は病みつきになる中毒性がある。特に、椎名桔平と加瀬亮のキレのある演技には、なかなかシビれる。北村総一郎の会長役としての貫禄ある演技も悪い奴ながら圧巻。どこかカッコいい。

「指つめるのはいいから、金持ってこい」
「今の時代はね、金より、出世ですよ」

というような主張が誇張されていたのだが、その点が「ソナチネ」の時代の価値観とは変わっている。「3-4×10月」でもケジメとか仁義とか男の美学を主張していたのだが、今回登場するヤクザは仁や美学よりも、金や出世など合理的に悪さをしている。そして悪い奴が上にのし上がっている。この辺の描写が時代に移り変わりを表しているように筆者は感じた。

その他も、途上国の日本大使館ビジネスを展開したり、グローバル化の歪みを利用してヤクザな金儲けをするのだ。シャブよりカジノと株で金儲けする合理的で知的なインテリヤクザの登場など、ヤクザでも古い価値観は死んでいっているのかと思わされる。

しかし、これはもしかして、変わりゆく現代ヤクザだけではなく、たけし自身が深く関わる芸能界の現状を示唆しているのかもしれない。

たけしがデビュー作『その男、凶暴につき』から、ヤクザを描き続けている理由は、もしかするとその構造自体が、自信の属する芸能界と似ていることを訴えたかったのではないか。

だからこそ、この年齢になっても、これだけエネルギッシュで、暴力的で破壊的な映画を創れたのかもしれない。芸能界への不満の衝動が、たけしの創作活動の根源にあるのかもしれない。

特に近年、引退した島田紳助の事件に対して、たけしは苦言を吐いていた。新しい人をもっと起用して、古株を引退させないといけないと主張していた。しかし未だに古株がのさばっている現状の芸能界に呆れていたのだと思う。視聴率も下がって、質も下がって、にもかかわらず、ヤクザ体質は変わらない。

本作、『アウトレイジ』はそんな古い体制に対する強烈なメッセージなのだ。

古い人間、古い構造は死ぬべきだ。見ろよ、やくざの世界もこんなに変わってるぞ。芸能界よ、目を覚ませ。

そんなメッセージを、北野監督は、『アウトレイジ』を通じて訴えたかったのではないだろうか。だから、Outrage(侮辱・非道などに対する激怒)なのではないか。

非情なまでに古いタイプの人間が死に、古い構造が崩壊する。創造的破壊的現象を示唆する。

芸能会に蔓延るドン(老害)をぶっ殺せ!!
そして若者よ、新しい時代を築くのだ!!

Written by kojiroh

※引用元
アウトレイジ、新時代へ送る映画|世界の始まりとハードボイルド
http://blog.livedoor.jp/koji_roh/archives/4979821.html

『冷たい熱帯魚』(2010年、日本) ―9.0点。生きること=痛い、狂気のエンターテイメント

『冷たい熱帯魚』(2010年、日本) 146min
監督・脚本: 園子温
出演: 吹越満、でんでん、黒沢あすか、神楽坂恵、梶原ひかり、渡辺哲

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

※リアルタイム映画批評

平穏な家庭のようで、活気のある熱帯魚屋のようで、何かが狂っている。
何かが起こりそうな不気味な家庭と街、熱帯魚。

冒頭から神楽坂恵が冷凍食品をカートに入れて荒々しく買い物をし、食卓を作るシーン、これをしょっぱなから展開させるという狂った発想。オープニングから30分してようやく「冷たい熱帯魚」のタイトルが登場する遊び心にも惹きつけられる。

こんな引き込み方をする映画は今まであっただろうか?
どう転ぶか分からない展開に2時間半、冒頭からクライマックスまで、釘付けになった。

いや、園監督は本当に自分の世界に観客を引き込ませる天才だ。

さて、筆者は早稲田松竹にて園子温監督の特集上映を見に行った。『冷たい熱帯魚』と『紀子の食卓』の二本立てだった。マニアックな監督の作品のはずなのに、立ち見上映になるほど園子温フリークで狭い早稲田松竹は埋め尽くされていた。上映される時はなにやら熱気も感じた。

まず一作目は『冷たい熱帯魚』。
名前からは想像もできないような強烈な猛毒映画で衝撃を受ける。

園子温本人が自らの最高傑作と認める『冷たい熱帯魚』は、実際の猟奇殺人事件からインスパイアされた映画だ。ストーリーは、小さな熱帯魚店を経営する社本一家の娘のトラブルで、同じく熱帯魚店を経営する村田幸雄に助けられて交友を持ち、一緒にビジネスをやることを持ちかけられるのだが、彼の悪魔のような驚愕のビジネスに巻き込まれてゆく…。


強烈な個性と狂気の域まで達する演技陣、何かを心に溜め込んで歪んでいる人々の侠気が映し出されている。神経衰弱した熱帯魚屋の店長、ズボラで駄目だが欲深い奥さん、熱帯魚ビジネスを大規模に展開すお金持ちオーナーの村田、謎めいた妖艶な村田の妻、不用意にカットせず、長回しで迫真の演技を見せる迫力は尋常ではない。


いつもの園子温流の個人に迫ってナレーションで心情や人生を語るような手法は封印し、ひたすら狂った事件を不気味に、謎めいた視点から描き、突如として嵐のようにやってきて巻き込まれる事件、そこからはスプラッターサスペンスだ。それでいてユーモアやエンタメ要素もある、なんとも不思議な映画だ。

この手のジャンルの映画ならば、三池の『殺し屋1』があるが、それにも匹敵するすさまじい残酷描写、しかしその中にもちゃんとした人間哲学である。

「警察を、やくざを敵に回してでも、俺は自分の足で、一人で立ってるんだ」
でんでん扮する怪物”村田”の狂気の演技が忘れられない。
時に長回しでノーカットで見せる異常なテンションでしゃべり、怒鳴り、そしてスプラッターの世界へ。まさに怪物。よくもまあ、こんな人物像をフィルムに焼き付けることができた。それには脱帽するしかない。本作のでんでんの演技は、『イングロリアス・バスターズ』のクリストファ・ヴォルツに匹敵する、それほどの狂気、殺意がある。


しかし言うなれば、この映画の人物は全員、狂人だ。
安泰な日常に身を置いて何かに我慢し続けているが、過去のコンプレックスと戦い続けているが、日常と言う砂漠によって思考停止し、怠慢ながらも日常を守り続けることを選び、結果として気がついた時には狂っている。

園監督はいつも、そんなのほほんとした日本人を徹底的に否定し、そして破壊してくれる。

『紀子の食卓』や『愛のむきだし』でもそうだが、安泰に思われた家庭が一つの事件によってたやすく崩壊する様を描いているのだ。

社会的に家族が崩壊、そして個人も人格崩壊。彼の描く日本人像は、永遠に続く安全な日常、そこで淡々と生きつつも何かが壊れている表面的な家庭、それを盛大に、時に残酷なまでにぶっ壊すのだ。

本作では、日常の不満を口に出さず神経を衰弱させておどおどして、何事も他人任せでのほほんと生きている男の人生を、人の弱みに付け込んで利用する狂人によって破壊される。

それによって初めて、「人生は痛い」ものだと気付くのであった。

というわけで個人的な趣味もあるが、ここ10年間ぐらいで最もすばらしい日本映画かもしれない。観終わった後に、そう思わせるほどの力がある、あまりにも強烈な映像世界だった。

Written by kojiroh

『六月の蛇』(2002年 日本) ―8.0点。青いモノクロが映す官能・塚本ワールド

『六月の蛇』(2002年 日本) 77min
監督・製作・脚本・美術・撮影・編集: 塚本晋也
音楽: 石川忠
出演: 黒沢あすか、塚本晋也、神足裕司、寺島進、田口トモロヲ

【点数】
★★★★★★★★☆☆ / 8.0点

2002年の第59回ベネチア国際映画祭で審査員特別大賞を受賞した塚本晋也監督作・「六月の蛇」。
ブルー基調のモノトーンで撮影されたこの作品は低予算で作られた安っぽさを感じなくもないが、独特な映像感覚と細部に至る拘りを感じ、塚本ワールド全快、という印象。77分と比較的、短い作品なのだが、冒頭からぐいぐい引き込まれてしまった。

さて、監督・製作・脚本・美術・撮影・編集までもをすべて自分でこなすことによって生まれる塚本晋也の世界観は素晴らしい。俳優としても三池監督の『殺し屋1』などで見せたような個性的な演技がこれまた渋い。世界的にもタランティーノやギャスパー・ノエなど名だたる有名監督が塚本フリークを公言しているほど、国際的な評価の高い日本人監督の一人である。

日本でも北野武など、自分で監督と脚本、さらに編集も自分でするワンマンな監督が多いが、その自分で全部やるという非ハリウッド的なスタイルは独自の映像世界を作り上げる。ロバートロドリゲスもそうだが、監督も編集も自分でやる多才な監督の生み出す世界はやはり味わいがある。

それはさておき、本作のあらすじは、心の電話相談室に務める主人公・りん子(黒沢あすか)は、かつて自殺予告の電話をしてきた男(塚本晋也)に隠し撮りされ、それをネタに性的な脅迫を受けるが、それを機に自らの性の内面に目覚め、やがては潔癖症の夫・重彦(神足裕司)をも巻き込んでいく…。

現代人の希薄な人間関係をあらわにし、それを性的な衝動を駆り立てることで、理性的な都会人の本性をむきだしにするような内容だ。盗撮、オナニー、大人のおもちゃなど、性的な内容を多く含むが、いやらしさというよりも人間の本質を描いているように思えた。都会の淡々とた毎日とデザイナーズマンションでの生活ですっかり希薄になった欲望、コミュニケーション。それを塚本晋也の電話がむきだしにする。その様子は見ていて爽快感もあり、最後にはユーモアさえも感じられる。


そして、黒沢あすかの個性的な演技がまたよい。ショートヘアーでメガネの地味な容貌での出演であるが、次第に妖艶になってゆき、最後には女に化ける。特に、声が美しい。電話での塚本晋也とのやりとりは圧巻のデキだと思った。

「修道女に乳がんが多い理由がわかるか?原因は禁欲なんだよ」
塚本晋也の熱のこもった台詞が妙に頭に残っている。

6月の蛇、か。梅雨の時期の雨とも絡めて、モヤモヤ、ムラムラする気持ちを繊細に描き、塚本晋也が暴力的な愛情で破壊してゆくのだ。SFチックなファンタジーな演出を一部交えて、無機質ながらも幻想的に描く。

黒いオイルを使った演出など、低予算ながらもアイディアが満載で見所のある映画だった。国際的にも塚本フリークを公言する有名監督が多い理由も頷ける一本だった。

Written by kojiroh

『バトル・ロワイアル』(2000年、日本) ―7.0点。10年後に振り返るとスゴイ映画

『バトルロワイアル』(2000年、日本)114min
監督:深作欣二
脚本:深作健太
原作:高見広春
出演:藤原竜也、前田亜季、山本太郎、栗山千明、塚本高史、柴崎コウ、安藤政信、高岡蒼甫、ビートたけし

【点数】
★★★★★★★☆☆☆ / 7.0点

「今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」
北野武の怪演が印象的、おなじみ10年前に国会をも騒がせた話題作・バトルロワイアル。このたび3Dでリバイバル上映されたことで再び注目されている作品でもある。

本作は、『仁義なき戦い』シリーズの巨匠・深作監督の実質的な遺作でもある。独自の荒々しい暴力描写を持ち味としていた深作が最後に作り上げたバイオレンス映画だと思うと、なにやらアツい想いをも感じられる。世界的な巨匠にもなった北野武との共演もなにやら微笑ましく思える。

あらすじは、日本のパラレルワールドとも言える大東亜帝国が国家破綻したことにより、暴走する若者を抑圧するべく、BR法という中学生が殺し合いをするという法案が可決され、そこに巻き込まれる中学生を描いた物語。

世紀末のような雰囲気が、10年後の今でも現実的に思えてしまう。現代社会でも起こりえるような愚かな法案と、そこで犠牲になる若者を描いている。ここに強烈な社会風刺性を感じ取ることができる。早朝のJR渋谷駅がラストシーンが、陳腐なようで、今の日本の姿の行く末のようにも思えてしまった。

また、メッセージ性のみならず、本作は出演陣がスゴイ。当時は無名であったが、中学生を演じた藤原竜也、前田亜季、山本太郎、栗山千明、塚本高史、柴崎コウ、安藤政信、高岡蒼甫。今この面子が集まることを考えるとありえない。それほど、『BR』で出世した役者が多く、日本の映画界で成した貢献は大きかったのだろう。

クエンティンタランティーノが本作の大ファンで、栗原千明の『キルビル』への出演へと繋がったり、日本の映画史の中でも大きな役割を果たした邦画の傑作だと思う。英エンパイア誌が発表した「歴代最高の映画ランキング500(The 500 Greatest Movies of All Time)」でも、235位に選出されている。

公開当時に見た感想は、正直言うと原作が秀逸なので、それと比べると本作は劣ってしまった。しかし、世界的に見ると非常に興味深いテーマを、個性的な演技陣と共に、斬新に描いた傑作であることは間違いない。

そして3D化する必要も特には感じないが、その機会で世界的に再び再上映されると思えば、宣伝の一環としてはありなのかもしれない。

10年前に残した最後の深作欣二ワールドが世界に広まっていると思うと微笑ましい。

(Written by kojiroh)

『愛のむきだし』(2008年、日本) ―8.5点。奇跡の237分、大作邦画

『愛のむきだし』(2008年、日本) 237min
監督・脚本・原案: 園子温
出演者: 西島隆弘、満島ひかり、安藤サクラ、尾上寛之、清水優、永岡佑、広澤草、玄覺悠子、中村麻美、渡辺真起子、渡部篤郎

【点数】
★★★★★★★★☆ / 8.5点

映画史において、「奇跡の映画」と称される作品がある。

その時、その瞬間だけ、才能ある人間たちが集って注力してこそ成せる技のようなもの。『愛のむきだし』もまた、まるで奇跡を見ているかのような映画だった。

第59回(2009年)ベルリン映画祭に出品され、「カリガリ賞」「国際批評家連盟賞」、第83回キネマ旬報ベスト・テンにおいて、主演の西島隆弘が「新人男優賞」、助演の満島ひかりが「助演女優賞」、国内国外問わず名立たる賞で受賞し、絶賛を浴びた邦画の傑作である。

近年、2000年以降の邦画の中では最高傑作との声も高く、00年代の邦画ベスト10では必ずランクインする。とにかく、上映時間が例外的に長いにも関わらず、ポップな内容で世界的に高い評価を受けること自体が奇跡的な映画と言える。

そんなに予算に恵まれた作品ではないだろうが、多彩で個性的な登場人物と、物語の連続で、4時間にも及ぶ長さを全く感じさせない怒涛のエンターテイメントである。ドラマのようにも思えて、ギリギリのところでしっかり映画としても成り立っている。

さて、あらすじは、厳格なクリスチャンに生まれた息子ユウ(西島)が、自分のマリアを探すという純愛ストーリー。しかし、複数の人物の性癖が絡み合い、0教会という新興宗教との対決が純愛を阻む。原罪ともいえる性癖、つまり「変態」として生きることと、そこにある愛に関して、盗撮と勃起というテーマをキーにして問う。純愛がより深く、変態の宿命を描くというのか。それによって二元論的な恋愛ストーリーを超越している。

本作は370ページに及ぶような長編でありながら、無駄なくテンポよく構成されたこの脚本がいい。そしてセリフが特に各自の視点に拘っていて人物の特徴をよく描き出せている。「盗撮と原罪」の世界へと入ってしまったユウの生い立ち、「カートコバーンとキリストが最高の男」とするヨーコ(満島)、親からの愛を受けず、17の職業を持ち新興宗教の幹部となるコイケ(安藤)。そんな各自の語りのナレーションがいい。3人の主要人物の人生を描き、それが密接に絡み合うストーリー。複数の視点からこの映画の世界の輪郭が描かれる。さらには予想外の方向に進み行く先の読めないストーリーが非常に秀逸だ。

コイケの小鳥であったり、マリアの像、さそりの衣装、小道具の使い方も上手く、また脇役の演技陣も個性的で面白い。園子温監督自身が詩人でもあるためか、言語のセンスが浮き立ち、園ワールドが妥協なく表現されている。原案から脚本まで全て担当しているだけある。

3人の人生が237分の中で怒涛のように迫ってくる。監督の感性だけでなく、まだ初々しさの残る21歳の年齢で演じ切った俳優人の演技によって成された奇跡としか言いようのない映画だと思った。さらに音楽もゆらゆら帝国。このコラボレーションは信じられない。

芸術か、娯楽作か、それとも実験映画なのか。

このなんともジャンルで言いがたい点が、また一つ新鋭的であり、新しい映画への挑戦であるのかもしれない。

もしかすると、この作品は日本社会における特質な若者たちの叙事詩ではないだろうか。実話を下にして作られていることもあり、現代社会へのメッセージにも感じられる。何を信じていいのか分からない無宗教のこの国で、信じるものは何か。愛とは何か。そうした問いかけと共に、勃起、盗撮、クリスチャン、信仰、宗教、洗脳。こうした言葉の本質にあるものが描かれる。

むきだしの愛。愛のむきだし。
僕らは、どこまで、むきだしのまま生きてゆけるのか。

さあ、この作品には説明は要らないのかもしれない。自身の目で奇跡の237分を見ることで救われるであろう。

Express of ”Love Exposure.”

(Written by kojiroh)

『空気人形』 (2009年 日本) 6.0点。

『空気人形』 (2009年 日本)
監督: 是枝裕和
出演: ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、高橋昌也、余貴美子

【点数】
★★★★★★☆☆☆☆ / 6.0点

ひとはなぜ生きるのか。

この問いには、ある転倒が加えられている。街の灯りに照らされて、長くのびた影法師がふたつ。もの静かな青年、ジュンイチの影はそこにあるのに、ノゾミの影は透きとおってしまう。生きることがじぶんを象る人間と、何かのために生みだされた人形の、生命と非生命のあいだ、はからずもさしのばされたふたりの距離感はおごそかにも残酷な解をほのめかし、その一方で観るものを突き放す。

業田良家による原作「空気人形」に着想を得た是枝は、カメラマンに「夏至」「花様年華」などで知られる名伯楽、リー・ピンビンを起用した。ふいに心を宿し、この世界に生まれ出ずるラブ・ドールに扮したのは、「リンダリンダリンダ」で日本にも知られる韓国人女優ペ・ドゥナだ。異邦人のまなざしと、無垢な人形の捉えた日常はあたかも異界のようで、見なれたはずの街並みを掘り起こし、あたらしく取り出してみせた。

たがいの空虚が響きあう現代に、ありふれた宿痾とも呼ぶべき孤独をいまいちど手に取り、たしかめようとするのではなく、そっと見つめる。是枝が得手としている奇蹟の不在はこの物語においても引き継がれており、人形の主人でもある中年男性には願望のないまぜになった独白を、かつて代用教員をしていた老人には、語り部として吉野弘の詩を託した。

「生命はそのなかに欠如を抱き、それを他者から充たしてもらうのだ」

その欠如と充足とは、うばい合い、あたえ合う、生の秘蹟にほかならない。

孤独は、ときに甘美な嘘をつく。つながりという口吻は人々を魅了し、卑小な連帯への囲い込みをやめようとしない。ひとはもとより平等でも絶対でもなく、誰しもが個別の時とばあいを生きている。だが、それが不実な慰みと知っていても、ひとは誰かを愛さずにいられない。

無垢なる魂の物語は、その極点を官能のなかに迎えた。腕に傷を負い、流れ出たものは血ではなく、空気だ。からっぽな人形は愛するものの呼気に充たされてはじめて肉を手に入れ、愛するものを充たそうとして肉を喪う。そのやりとりは哀しくも、滑稽だ。

ありうべきおとぎ話を引き受けて、我々は現実へと立ち戻らねばならない。空白を乗りこえるものは空白であり、美しいことばの孕むまぼろしではない。人形のため息が風をわたるとき、われらもひとつ、呼吸をかぞえる。

(Written by うえだしたお)