『デビルズダブル』(2011年、ベルギー)―6.5点。フセイン家一人二役、驚愕の怪演


『デビルズダブル』(2011年、ベルギー)―108min
監督:リー・タマホリ
脚本:マイケル・トーマス
原作:ラティーフ・ヤフヤー
出演:ドミニク・クーパー、フィリップ・クァスト 、リュディヴィーヌ・サニエ
【点数】
★★★★★★☆☆☆ / 6.5点

※リアルタイム映画評

アラブ風の映画が飛び交い、二人の兄弟が画面に揃う。甲高い声のウダイ・フセインと、影武者にされた男、ラティーフ。

イギリスのドミニククーパーとフランスのリディヴィーヌ・サニエをメインに添えた影武者のサスペンス劇が本作『デビルズダブル』。実際の影武者だった男、ラティーフ・ヤフヤーが書いた本が原作となっている。


あらすじは、軍に勤務するラティフがある日イラク大統領サダム・フセインの長男ウダイに呼び出され、自分の影武者になれと命じられる。家族の身の安全にやむを得ず影武者業に就くことになるのだが、そこで異常なまでの悪行を成すウダイの姿を目の当たりにすることになる…。

どやって撮影したのかと思えるほど2人が画面に並ぶ。この光景を映画館で見るとあかなか迫力があった。声の質や顔つきが微妙に違うので本当に別人に見えてくる。この演技はすごい。

最初の出会いから、やむを得ず影武者として生きてゆき、最後は演説までもをこなすプロセスは見ていて楽しめる。

サダム・フセイン役のフィリップ・クァストもなかなか貫禄がある。
.

そして本作の華であるフランスの名女優、リディビーヌ・サニエの謎めいた妖艶さもみどころ。

私はオゾン監督の『スイミングプール』以来は久しく見ていなかったので、スクリーンで見れたことはなかなか嬉しい。

最後までどう転ぶかわからないストーリーにはハラハラする場面もあり、フセイン一家の持つ強大な権力とその陰謀を描いた作品として見るにも面白いし、イラクという国家のひとつの考察として見るにも面白い。

しかし主演のドミニククーパーはイギリス人であり、サニエもフランス女優、そしてイラクなのに物語は全て英語で語られる。面白い作品であったが、果たして本作にイラクの本当の姿があったのかという点は非常に疑わしいと思ってしまった。

フセイン一家の謎と、この奇妙な名演を見るにはいいが、リアリティとしては微妙なところ。さらにはフセイン一家を完全なる悪として描く完全な親米映画として見なさざるを得ないところが少し政治的な思想を感じてしまう映画であった。

Written by kojiroh

『ワン・テイク・オンリー』(2001年、タイ) ―6.5点。オキサイド・パンの描く裏バンコク


『ワン・テイク・オンリー』(2001年、タイ) 90min
監督・原案・脚本・編集::オキサイド・パン
出演:パワリット・モングコンピシット、ワナチャダ・シワポーンチャイ

【点数】
★★★★★★☆☆☆ / 6.5点

サブタイトル、Bangkok for sale.

『レイン』と『the EYE【アイ】』で有名な香港出身ながらもタイを舞台に映画を作るオキサイド・パン監督の長編第二作。本作は兄弟ではなくオキサイドパン一人で手がけているためか作家性がよく現れている。

タイのストリートを舞台にした青春ドラマ。麻薬の売人と売春婦になった少女、彼らの悲劇をスタイリッシュな映像で鮮烈に描き出す。

本作は2002年のロッテルダム国際映画祭などに出展されたが、タイの犯罪事情をリアルに描きすぎた影響で、バンコクではしばらく2003年まで封印されていたというある意味、伝説の作品である。


『レイン』でも主演だったパワリット君が本作でも活躍。個人的に彼の演技はかなりクールで、ペラペラと喋る三枚目な役柄がなかなか見ごたえがあった。まだ幼いが母のために体を売るソムとの絡みもユーモアある演技を見せる。

安っぽいクラブミュージックが流れたり、妙にギクシャクしたストーリー進行、というより編集スタイルには、自主制作の匂いがぷんぷんするような作り。前作『レイン』ほど完成度が高くなく、編集で色々とごまかしているような素人っぽさも感じられる。


低所得者として売春や麻薬の売人などグレーな仕事をしてきた二人であったが、経済的自由を求めて大きな山に飛び込む羽目に…。

そんなにいい話ではないが、独自のユーモアのセンスが聞いていて、個人的には笑える物語だ。実験映画的なスタイルをとっており、主人公の妄想と現実が交錯する構成ながらも、そんなにしつこくないのがよいところだと思った。

一般的に評価されている作品ではないが、主役の二人のコンビがなかなか馬が合っていて、タイの文化を象徴するかのようなクラブミュージックが陽気に流れ、幼女売春、麻薬密売などの社会問題を映し出しつつも明るく楽観的な、これこそまさにタイ社会を象徴する映画ではないかと思い、楽しめる一本だった。

香港の『恋する惑星』をタイヴァージョンにしたかのような、香港出身のオキサイド・パンが本作が撮った意味を考えるにも見る価値のある映画であった。完成度が高くないが、なぜか愛着が持てる。

本作が再評価される日が来ると期待しよう。

Written by kojiroh

『密告・者』(2010年、香港) ―6.0点。イヌ、女、警察、三つ巴の香港ノワール


『密告者』(2010年、香港) 112min
監督:ダンテ・ラム
出演:ニコラス・ツェー、ニック・チョン、グイ・ルンメイ、リウ・カイチー、ミャオ・プー、ルー・イー
【点数】
★★★★★★☆☆☆☆ / 6.0点
※リアルタイム映画評

新宿武蔵野館にてポスターに負けて見に行ってしまった作品。そう、ジョニー・トー作品など、香港マフィアのハードボイルドな犯罪アクション映画、いわゆる香港ノワールマニアの私は、この手の香港映画がツボなのである。

そして過去まれに見るほどポスターがカッコよかったので、これは名作に違いないと思い、早速足を運んだ。

さて結論、『インファナル・アフェア』と『ワンナイト・イン・モンコック』の中間のような作品だった。

あらすじは、香港警察気鋭の捜査官ドン(ニック・チョン)は、ドンは密告者を使って捜査をすることに深い罪の意識を背負いながらも、台湾から帰ってきた凶悪犯罪者の動向を探る。新たな密告者として出所したばかりの青年サイグァイ(ニコラス・ツェー)に接近。新しいパートナーとして宝石強盗を企む組織に潜入させるのだが…。

王道の香港ノワールのストーリーであるが、ダンテ・ラム監督の臨場感があり、重厚かつ適度に軽いタッチの演出はなかなか見ものであった。


ティムサーチョイなど香港の町で派手な逃走劇を繰る広げる主演の二人の姿は臨場感がある。ニコラス・ツェーとグイ・ルンメイの顔ぶれが名コンビである。とっくみあいのアクションシーンは泥臭さがありつつも、学校の中で激しく戦うシーンは迫力がある。


本作は密告者側だけでなく、それを利用する警察官の良心にも触れている点がみどころ。ジョニートー作品でもおなじみのニック・チョンが演じる警察官の視点が多数出てくる。

がしかし、なにやら両方の視点を中途半端に出しすぎている感がある。いいとこどりをしすぎて詰め込みすぎて結局はすべて中途半端に終わっているかなという次第。


派手なカーアクションは圧巻であり、香港の狭い喧騒とした町の中を闘争する二人の姿を追うのは緊張感があり楽しめたが、追われるイヌ(密告者)や犯罪者の男女のふたりの逃走劇は、結局はもう過去に出し尽くされたネタの焼き直しであり、『インファナル・アフェア』にも、『ワンナイト・イン・モンコック』にもなれない中途半端な作品だったなと。

上映時間も積み込み過ぎな内容によって、この手の映画の割には少し長かった所感。90分ぐらいにすっきり絞っていた方が面白かったんじゃないかなと。まあでも香港ノワールはベタでも楽しめるので、見る価値はありましたが、劇場で見なくてもよかったかなというのが素直な感想でした。

Written by kojiroh

『プリンセス・トヨトミ』(2011年、日本) ―6.5点。大阪文化総動員のSF(?)大作

『プリンセス・トヨトミ』(2011年、日本) 119min
監督:鈴木雅之
脚本:相沢友子
出演:堤真一、綾瀬はるか、岡田将生、沢木ルカ、森永悠希、江守徹、菊池桃子、笹野高史、和久井映見、中井貴一

【点数】
★★★★★★☆☆☆ / 6.5点

※リアルタイム映画評

「その日、大阪が全停止した」。
このキャッチコピーで話題の映画、万目学のベストセラーの映画化である。

口コミで評判がよかったので、ベタな映画だとも思いながらも筆者は劇場へと足を運んだ。

プリンセストヨトミ、豊臣王女?
一体どういう物語なのかまったく予備知識なく見に行った。そんな前知識なしで行ったことも幸いしてか、所感としては、ずばりなかなか見応えのある面白い映画だった。


さてあらすじであるが、突如として大阪府で一切の営業活動、商業活動が一斉に停止した。物語はそこからさかのぼること10日前、東京から訪れた会計検査院の調査官3人と、空堀商店街に住む2人の中学生の、一見何の関わりもない行動を中心に描かれる。

監督は鈴木雅之、テレビドラマなども多く手がけている彼だが、本作でも顔面のドアップなど彼流の演出が冴えていた。堤真一のドアップのシーンなどは映画館で見るとなかなか迫力があった。

特に原作がいいというのが大きいだろうが、東京と大阪、その二つの大都市の文化的な差異であったり、歴史的な生い立ちの違いを強く感じさせる話だった。東京・大阪という大都市によって繁栄してきた日本に生きる僕らにとっては見る価値の大きな映画である。

とはいっても、かなりファンタジーの要素が強い物語ではある。奇想天外な発想によるこの物語は好みではなかったが、細かい小道具のパンチが効いていることもあり、それなりに楽しむことができた。堤真一がいつも舐めるアイスクリーム、大阪風串揚げ、お好み焼き、とにかく本作は食事のシーンが独創性豊かで素晴らしい。


そんなくせ者三人の大阪出張を舞台にした物語であるが、その名トリオっぷりが最後は愛おしく思えてくる。

大阪フリークな私としては、なかなか楽しめる一本であった。大阪を描いた秀逸作であることは間違いない。

Written by kojiroh

『世界侵略:ロサンゼルス決戦』(2011年、アメリカ)―6.0点。よくあるアメリカの傑作バカ映画


『世界侵略:ロサンゼルス決戦』(2011年、アメリカ) 116min
監督:ジョナサン・リーベスマン
脚本:クリストファー・バートリニー
出演:アーロン・エッカート、ラモン・ロドリゲス、ミシェル・ロドリゲス、ニーヨ、コリー・ハードリクト、ブリジット・モイナハン、マイケル・ペーニャ

【点数】
★★★★★★☆☆☆☆ / 6.0点

※リアルタイム映画評

2011年9月17日。
我々、映画人eigazine編集部は3人で本作『LA決戦』の上映初日に満を持して新宿ミラノ座に足を運んだ。

なぜか震災の影響で上映が遅れた話題作である。地震となにも関係ないのに謎すぎる上映延期はさて置くとして、クソ映画マニアのある編集員が「今年一番期待しているクソ映画だ!」と言わんばかりに誘ってきたので、映画人はそのマンパワーを結集して期待を高めていた。

さて、そんな前置きのネタはともかく、その期待の戦争&エイリアンのSFアクション大作を鑑賞したのである。

本作の舞台は2011年。謎の飛行物体が相次いで地上に衝突。中から現れたのは侵略者のエイリアンだと判明し、彼らはたちは世界中の都市に一斉攻撃を開始。各主要都市が次々と壊滅状態に追いやられる中、ロサンゼルスもまた例外ではなかった。ロサンゼルス近郊にあるアメリカ海兵隊基地所属のナンツ二等軍曹(アーロン・エッカート)の小隊もロサンゼルスの防衛に投入されることとなるのだが…。そこから生き残れるか、サバイバルSF戦争アクションが始まった。

という確定パターンのベタな展開で物語が進む。お約束な感じで、なかなかニヤリとさせてくれる。迫力があるアクションシーンとともにどこかで既視感を覚えるようなベタなシーンの連続なのだ。爆笑しそうになるほど、とにかくベタ。

展開としては『ブラック・ホークダウン』『インディペンデンス・デイ』などの過去の傑作戦争映画と宇宙人の地球侵略を描いたような傑作SF映画のパロディのようなごちゃまぜ映画だ。そのごちゃまぜ感がオリジナリティを生んでるかというと、かえってグダグダになっている気もする。

つまり、ハッキリ言って馬鹿映画です。よく映画を見ている人ほど、なぜこんなB級かつ中途半端に色々と混ぜているような映画が大スペクタクルに作られたか理解に苦しむほど。

しかし、ベタな展開で、脇役がフラグと共に死んでいったり、主人公は何があっても死なずに無敵で、最後のほうにちょっとお涙頂戴のシーンがあり、ラストは壮大に、かつ絶対にギリギリのところで勝利して、「うおー!アメリカ万歳ー!我々は英雄だ!」というお約束通りの映画がこれほどまで予想通りに観られると逆になんだか清々しい気持ちになってくるものです。

冒頭から中盤にかけて、何の魅力も感じないような主人公と軍人たちで、まったく面白くもデキがよくもなかったが、開始45分ぐらいでベタベタB級な映画の王道パターンに引きずり込まれたのが、なんだが逆に快感でもあった。

もっといい映画にできた気がするのだが、このバカさは大好きです。これはこれでいいのかもしれませんね。

前半2点、後半6点、中盤:ベタベタな2分ぐらいのヘリ墜落シーン10点、ってことで全体で平均すると、まあ5点ぐらいの映画ということにしておきましょう。

あとよかったのは、アクション映画の名助演女優:ミッシェル・ロドリゲス嬢が見れたことですね。『アバター』にも出演していたり、彼女は出る映画を外しませんね(笑

Written by kojiroh

『ミックマック』(2009年、フランス) ―6.5点。現代的風刺の妙にリアルなファンタジー

『ミックマック』(2009年、フランス)Micmacs à tire-larigot 105min
監督:ジャン=ピエール・ジュネ
脚本:ジャン=ピエール・ジュネ、ギョーム・ローラン
出演:ダニー・ブーン、ドミニク・ピノン…フラカス、ヨランド・モロー、ジャン=ピエール・マリエール、ジュリー・フェリエ、ミッシェル・クレマド、マリー=ジュリー・ボー、オマール・シー、アンドレ・デュソリエ、ニコラ・マリエ

【点数】
★★★★★★☆☆☆ / 6.5点

『デリカテッセン』、『アメリ』などの話題作で有名な鬼才、ジャン・ピエール・ジュネ監督の最近作が、つい先日、公開されたことを知り、アメリフリークの筆者は前評判も高いことだったので見に行ったのが2010年9月、新宿の「とうきゅうスクエア」である。

あらすじは、レンタルビデオ店で働くバジルが、発砲事件で流れ弾を頭に喰らい、摘出されないまま頭の中に残ってしまった。そのせいで彼は全てを失ってしまったのだが、スクラップ工場の仲間と知り合うことで新たな人生を歩み始めることになる。そしてある日、頭の中の銃弾を作った会社を発見し、彼は工場の仲間と共に軍需企業へのイタズラ(復讐)を企てるのだが…。

本作でもジュネ監督特有のスピーディーにカワイくもある世界の切り取り方が冴えていた。新鮮で、個人的には夢物語を見ている気分になれてすごく好きだ。ブラックでフランス的甘美さのあるユーモアが満載の世界が広がっている。

ジュネ映画お馴染みのドミニク・ピノンが出演していることも、ファンにはニヤリとしてしまう展開だ。

そしてファンタジーと現実社会が融合している不思議な物語である。事件に巻き込まれて銃弾が頭に残った主人公は仕事を失いホームレスになるのだが、そのへんが雇用難のフランスの現状を感じさせられる。ホームレスながら仲間と楽しく愉快に暮らすのだが、変に風刺が効いていてシュールな話だ。

そんな社会の底辺的な立場の人々ながらも愉快な仲間たちと一緒に社会的な影響を及ぼすような壮大なイタズラを仕掛ける構成は、『スティング』を思い出させるような、悪人をハメる物語だ。

随所に情報社会やテロリズム問題などの現実的な風刺を盛り込んでいて、監督のメッセージ性を感じる。

高度に発展した社会の先には、情報化社会のネットワークによって、悪い行いをする人間は滅びていく運命があり、それを政治的な権力によってではなく、ホームレスのような下位にいる人々からでも、巨大な利権に立ち向かう力を持ちうる、というメッセージだ。

とは言っても話ができすぎているので正直、ありえねーろ!と突っ込みたくなるファンタジーで終わっているかなとも思ってしまう。

よくできたいい映画ではある。メッセージもある。しかし、本作は結局は『アメリ』の焼き直し感が否めない。

男性版、『アメリ』を現代のネット社会でやったらどうなるか、みたいな。高校生の時に『アメリ』を見たときのような衝撃はなかったことが少し残念でもある。

『アメリ』未見の人が見た方が面白い映画なのかもしれないが、『アメリ』で試みたシュールで可愛いユーモアとフランスの現代への風刺は既に完成してしまったので、やはり焼き直し止まりかなと思った。

Written by kojiroh

『ツリー・オブ・ライフ』(2011年、アメリカ)―6.0点。ショーン・ペンが苦悩するほど難解な(理解に苦しむ)映画

『ツリー・オブ・ライフ』(2011年、アメリカ) 138min
監督・脚本: テレンス・マリック
出演: ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ジェシカ・チャステイン、フィオナ・ショウ、ハンター・マクラケン、ララミー・エップラー、タイ・シェリダン

【点数】
★★★★★★☆☆☆☆ / 6.0点

※リアルタイム映画批評

「現代、人々は強欲になるばかりだ。すぐに他人を支配しようとする」
ニューヨークの高層ビル郡の無機質なオフィスで、痩せほつれて苦悩の表情を浮かべるショーン・ペンの顔が忘れられない。この表情こそ、本作『ツリー・オブ・ライフ』の全てを物語っているのではないか。

2011年、今年のカンヌ映画祭グランプリを受賞した、寡作で知られるテレンス・マリック監督の久しぶりの作品なので傑作だと期待が高まっていた。

しかし、実際は絶賛とブーイングが巻き起こるような賛否両論の内容だった。ベールに包まれたその映画は一体、どのような作品なのかと筆者は期待を胸に新宿のミラノ座へと足を運んだ。

マリック監督自身が哲学者でもあるように、その思想と表現の真髄、集大成でもあるような本作は難解な映画としか言いようがない。映画批評を多くこなしてきた筆者でさえも、本作はあまりにも難解、というより実はデキの悪い映画なんじゃないかと疑うほど難しい。

そのテーマ性としてはSFの金字塔『2001年宇宙の旅』にも近い。『2001年』が宇宙旅と人類誕生の哲学的テーマを結びつけたように、マリック監督は人類誕生から至る広大な哲学的テーマを、普遍的な家族のストーリーで表現しようとするという試みが本作『ツリー・オブ・ライフ』なのだろうか。混ざるはずのないと思われた二つのテーマの融合を目指したその突拍子もない挑戦心には驚愕したが、嫌いじゃない。


ブラットピット扮する厳格な父の狂気的なしつけによる家族物語と、地球創成を示すようなCGによる隕石や恐竜の映像世界が、なぜか一つの映画の中で共存している。しかも地球創成シーンが30分にも及んだのではないかと思うほどに長い。この長さは一体、何を意味したのか。

この両者の関連性は一体、なんなのか。
詩的にナレーションが語られて、地球創造と神、信仰、家族、へと結びついているように思えるが、実際は何を表しているのかよく分からない。

確かに、部分的に観るとよくできている。ドキュメンタリータッチのような、ラース・フォン・トリアーのドグマ95的な手持ちカメラで追ってカットの激しい映像で一家庭に迫る。特に迫真の演技を見せるが淡々とした視点で描く手法は見事だ。子供の誕生、自我の目覚め、反抗期など、子供という存在に迫ろうとして、残酷な部分を含めて部分的にはよく描かれている。

そしてメッセージ性も強い。典型的なアメリカ人家庭で、勤めていながらもお金持ちを夢見て成功法則・自己啓発を学び、子供に金持ちになる方法を教え込むが空回りする父親・ブラットピットの姿は、現代の成功主義に溺れるアメリカ社会そのものへの皮肉であろう。

心に強く訴えかけてくる感情がある。社会的なメッセージ、強欲に溺れるアメリカそのものへの批判がある。

しかしそれでも筆者は、本作は失敗だと思う。
この映画は根本的な構成を間違えている。だからあまりにも分かりにくい。

―ツリー・オブ・ライフ、か。
人生の樹木。子と親、各々の人生は別物であるが、どんなにいがみ合ったり憎みあったりしていても、根本的な部分で木のように繋がっている、ということが言いたかったのだろうか。それにしても分からない。

CGのシーンなどの抽象的な概念を表す場面を排除して、普通の構成にナレーションを入れるぐらいにして100分ぐらいの映画に仕上げていれば、8点ぐらいは出せたと思うが、本作は監督の世界をあまりにもワガママな自己満足で完成させてしまっている。

メッセージ性のある作品なのだが、マリック監督自身が自分の表現衝動に強欲になりすぎてしまったんじゃないかな。

だが、こんなに考えさせられる映画は、前年度の『ブンミおじさんの森』以来、いや、それをも超える難解な映画だったかもしれない。

Written by kojiroh

『グエムル-漢江の怪物-』(2006年、韓国)―6.0点。ブラックユーモア・モンスタームービー

『グエムル-漢江の怪物-』(2006年、韓国)120min
監督: ポン・ジュノ
出演: ソン・ガンホ, ピョン・ヒョボン, パク・ヘイル, ペ・ドゥナ, コ・アソン

【点数】
★★★★★★☆☆☆☆ / 6.0点

韓国歴代動員記録1位を記録した話題の韓国映画。

韓国の才能あるクリエイターが集結した豪華な陣営で作られたポン・ジュノ監督による異色のモンスターパニック映画である。

舞台はソウルの中心を南北に分けて流れる雄大な河、漢江(ハンガン)。河岸でくつろいで過ごす人々が集まっていたある日、突然正体不明の巨大怪物が現れ、そこで売店を営む一家、兄のカンドゥの目の前で、次々と人が襲われてゆき、気付いた時にはカンドゥの愛娘ヒョンソがグエムルにさらわれ、一家でグエムルからヒョンソを取り戻すべく奮闘するも、ウィルスに感染していると疑われ政府に隔離されてしまい、悪戦苦闘するのであるが…。

主人公の兄:ソン・ガンホ,父:ピョン・ヒョボン, 弟:パク・ヘイル, 妹:ペ・ドゥナなど個性溢れる豪華なキャスティングで、その役どころだけでもなかなか見もの。兄はだらしなく太っていて、弟は大学を出てもフリーター、反面妹は大会で活躍するアーチェリーの選手であったりと、非現実的な奇妙な家族ながら不思議な連帯感を見せてグエムルに挑む。

このグエムルのリアルで不気味な動きはエイリアンを彷彿させるようなグロテスクがあり、その化け物から逃げるシーンや、対峙するラストの迫力はなかなか圧巻である。

単純なモンスター映画としても見れるが、本作はかなり風刺の効いた内容になっている。韓国に在中するアメリカ軍が捨てた薬品の影響で怪物が現れウィルスの脅威で理不尽な隔離をする鬼のようなアメリカ軍を描いたり、大卒でもフリータの弟のパク・ヘイルなどのキャラクターの立ち位置が興味深くもある。

彼がヒョンソの行方を探るべく、携帯会社の大手の先輩を訪ねるシーンが印象的だった。

「通信会社の大手だろ?どうやって入ったんだ?」
「なあに、所詮は月給取りさ」

と、韓国企業で勤める先輩とフリーターの弟の掛け合いが、なにやら韓国社会の実態を皮肉に暴露しているようにも思えてしまった。

このように、モンスター映画なのにも関わらず、社会的な描写がやたらとリアルな点が面白かった。アメリカへの批判など、グエルムの怪物の脅威というよりも、その背景にある社会状況や、韓国自体が抱える問題点への風刺、一種のブラックユーモアになっていると思った。怪物を退治するべく、全財産を失い財布のカードまでも抜かれるシーンはあまりにもシュールで笑える。

しかし個人的には主人公のソン・ガンホがあまりにもドン臭くて演技が暑苦しい。それが見所なのだろうが、デキのいい見所ある異色の映画だとは思うが、少しくどくかったかなーという所感でした。

Written by kojiroh

『恋する惑星』(1994年、香港) ―6.5点。スタイリッシュ香港Love


『恋する惑星』(1994年、香港) 100min
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
出演:トニーレオン、フェイウォン、金城武、ブリジット・リン、チャウ・カーリン
【点数】
★★★★★★☆☆☆ / 6.5点

フェイウォン、トニーレオン、金城武、ブリジット・リン。今振り返ると超豪華なキャスティング。若き日の彼らの初期の時代の出世作といえば、香港のウォン・カーウェイ監督が送る本作『恋する惑星』である。クエンティン・タランティーノが絶賛して、アメリカでの配給権を確保したという有名作でもある。

原題は重慶森林、Chungking Express。香港の安宿街、九龍、尖沙咀にある雑居ビル・重慶大厦(チョンキンマンション)を舞台に、4人の男女の恋愛模様を描いた香港独自のラブストーリー。


“雑踏ですれ違う見知らぬ人々の中に、将来の恋人がいるかもしれない”
センスのいいキザなナレーションで始まる。2つのエピソードから成り立ち、男性側の語り口によって、失恋した男性の切なさや淋しさ、そこから恋愛を再開する青春のほろ苦さをも感じさせるストーリーだ。時にそれが、あまりにも幼稚で漫画のような展開もあるのだが、まあこのスタイリッシュなカメラワークと俳優人の魅力を映し出したセンスに免じて許してしまえる。

ラフなドキュメンタリーのようなタッチな映像で切り貼りされた本作は、脚本的にも決して完成度が高いとは言えない映画ではある。しかし、なぜか中毒性がある。幼稚な失恋と恋、それを彩るステキなシーンが満載なのだ。

パイナップルを食べる金城武、「Do you like Pinapple?」と英語、日本語、広東語、北京語の四ヶ国語で話しかけるシーンはユーモラスでもあり印象深い。フェイウォンが自身が歌う曲『夢中人』と共にトニーレオンの部屋を改装するシーンのスピーディーなカットも若々しさが溢れて素晴らしい。無邪気なフェイウォンの笑顔も美しい。

特に、食事のシーンが可笑しいぐらいにどこか不思議だ。金城武の警官の役は、失恋を境に缶詰を買い込み、恋を忘れるためにバカ食いする。そしてホテルに泊まっても彼女の分まで食べる。とにかくよく食べる。無邪気に暴食する姿は滑稽でもあった。

その他でも、ドラックディーラーを演じるブリジット・リンの役どころでも、香港の犯罪模様が垣間見えたり、人間模様が香港独自であり、フェイウォンの輝くように明るさ、バカっぽさ、「夢のカリフォルニア」が繰り返し流れる光景も、本作への中毒性を高める一員なのだろう。

当時の香港の現代人を描いた秀逸でハイセンスな作品であることは間違いない。香港からカリフォルニアへ、か。夢のある物語ではあった。

Written by Kojiroh

『空気人形』 (2009年 日本) 6.0点。

『空気人形』 (2009年 日本)
監督: 是枝裕和
出演: ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、高橋昌也、余貴美子

【点数】
★★★★★★☆☆☆☆ / 6.0点

ひとはなぜ生きるのか。

この問いには、ある転倒が加えられている。街の灯りに照らされて、長くのびた影法師がふたつ。もの静かな青年、ジュンイチの影はそこにあるのに、ノゾミの影は透きとおってしまう。生きることがじぶんを象る人間と、何かのために生みだされた人形の、生命と非生命のあいだ、はからずもさしのばされたふたりの距離感はおごそかにも残酷な解をほのめかし、その一方で観るものを突き放す。

業田良家による原作「空気人形」に着想を得た是枝は、カメラマンに「夏至」「花様年華」などで知られる名伯楽、リー・ピンビンを起用した。ふいに心を宿し、この世界に生まれ出ずるラブ・ドールに扮したのは、「リンダリンダリンダ」で日本にも知られる韓国人女優ペ・ドゥナだ。異邦人のまなざしと、無垢な人形の捉えた日常はあたかも異界のようで、見なれたはずの街並みを掘り起こし、あたらしく取り出してみせた。

たがいの空虚が響きあう現代に、ありふれた宿痾とも呼ぶべき孤独をいまいちど手に取り、たしかめようとするのではなく、そっと見つめる。是枝が得手としている奇蹟の不在はこの物語においても引き継がれており、人形の主人でもある中年男性には願望のないまぜになった独白を、かつて代用教員をしていた老人には、語り部として吉野弘の詩を託した。

「生命はそのなかに欠如を抱き、それを他者から充たしてもらうのだ」

その欠如と充足とは、うばい合い、あたえ合う、生の秘蹟にほかならない。

孤独は、ときに甘美な嘘をつく。つながりという口吻は人々を魅了し、卑小な連帯への囲い込みをやめようとしない。ひとはもとより平等でも絶対でもなく、誰しもが個別の時とばあいを生きている。だが、それが不実な慰みと知っていても、ひとは誰かを愛さずにいられない。

無垢なる魂の物語は、その極点を官能のなかに迎えた。腕に傷を負い、流れ出たものは血ではなく、空気だ。からっぽな人形は愛するものの呼気に充たされてはじめて肉を手に入れ、愛するものを充たそうとして肉を喪う。そのやりとりは哀しくも、滑稽だ。

ありうべきおとぎ話を引き受けて、我々は現実へと立ち戻らねばならない。空白を乗りこえるものは空白であり、美しいことばの孕むまぼろしではない。人形のため息が風をわたるとき、われらもひとつ、呼吸をかぞえる。

(Written by うえだしたお)