『アンヴィル』(2009年、アメリカ) ―9.0点。最高のロック&ドキュメンタリー映画


『アンヴィル』(2009年、アメリカ) 81min
監督・製作総指揮:サーシャ・ガヴァシ
製作:レベッカ・イェルダム
音楽:デイナ・サノ (監修)
編集:ジェフ・レンフロー、アンドリュー・ディックラー
出演者:スティーヴ・”リップス”・クドロー、ロブ・ライナー、ラーズ・ウルリッヒ(メタリカ)、レミー・キルミスター、スラッシュ(ガンズ・アンド・ローゼズ)、トム・アラヤ(スレイヤー) 、スコット・イアン(アンスラックス)
【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

いきなり冒頭に出てくるメタルの大御所。

特にメタリカのラーズウルリッヒ、スラッシュの姿には驚く。こんな大物が語るバンド”アンヴィル”とは一体何者なのか。一瞬にしてこの映画の世界に引き込まれた。

84年の日本でのライブから始まり、かつての名曲「メタル・オン・メタル」の音楽が前編に渡って鳴り響く。30年のキャリアを経ても尚、ビッグになれずに夢を追い続けるメタルバンド”アンヴィル”の活動を2年もの歳月をかけて追ったドキュメンタリーフィルムである。監督のサーシャ・ガヴァシ自身がアンヴィルのファンであったことから始まった企画であるが、ドキュメンタリーとは思えないほど見事なストーリーができている。

「彼らがビッグにならないなんて、業界は厳しいよ」
「アンヴィルは衝撃的だった。みんな盗むだけ盗んで、彼らを見捨てたんだ」

80年代のメタル最盛期を生きた時代の人々のコメントが続き、世界中で何百万枚のセールスで成功したような大御所とは違い、日常の単調な仕事に従事せざるを得ない彼らの生活が浮き彫りになる。

家族もいて息子もいて、大して金はないが職はある。しかし、夢を追い続けている。夢をかなえきれずに卑屈になっているようにも思えるが、やりたいことをやりきって、成功していないことに不満ではあるが、人生哲学、信念を持ち、饒舌に語り続けるリーダーのリップスのキャラクター像には一瞬で引き込まれた。

晩年ではあるが、かつてのファンからの誘いでヨーロッパツアーへ挑むところから、物語は始まる。彼らの活躍をダイレクトシネマのような手法で、極めて映画的に描いている奇跡のようなドキュメンタリー映画であり、記録映画の枠を超えている。ドキュメンタリーでここまで映画的に描けた作品が過去にあっただろうか。


“This is Fuckin dream, but I will make Come True!!”
仲間内で喧嘩を始めたり、ドラムスのロブとの名コンビっぷり、出演料の支払いでもめたり、電車に乗り遅れてきまづい空気になったり、ゆきゆきて神軍のようなフィルムに匹敵するような迫力がある。それは間違いなく映画的な迫力だ。

「ツアーを終えて、旅から帰ると待っているのはクソ単調な日常だ」
リップスのアツい想いがもはや名言になっている。本作は彼の語録&名言集のようにもなっている。30年というキャリアと50年の人生が凝縮されている言葉だ。誰も彼を笑えない、僕らはみんなそうなんじゃないかな。人生の重みさえも感じることができる。

ツアーが終わり、彼は13枚目のアルバムに取り掛かろうとするが、200万近い大金が必要になり、新しい仕事を始めようとするのだが…。そうしたエピソードが積み重なり、滑稽で面白おかしい作品でもある。

だがしかし、ラストは不思議なことに涙がこみ上げてきた。

しかしこの映画はもう少し長い時間見ていたいと思った。80分ではあまりに短すぎる。もっともっと、色々なエピソードがありそうだとも感じ、珍しく続きが見たくなり、続編的なものを期待したくなった。それがドキュメンタリー映画であるからさらにすごい。

本作「アンヴィル」は、マイケルムーア監督がここ数年のドキュメンタリー映画で最高傑作というのが納得できる。それほどすばらしい、筆者が過去見てきたドキュメンタリー映画の中で、間違いなく最高傑作だった。

Written by kojiroh

『殺し屋1』(2001年、日本) ―9.0点。邦画史上No.1残酷映画


『殺し屋1』(2001年、日本) 128min
監督:三池崇史
脚本:佐藤佐吉
撮影:山本英夫
原作:山本英夫
出演者:浅野忠信、大森南朋、SABU、塚本晋也、松尾スズキ、菅田俊、寺島進、KEE、國村隼、手塚とおる、Alien Sun (en)、モロ師岡、風祭ゆき

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

日本映画史において最も暴力的かつ残酷、それでいてこんなに哲学的な映画は過去にもその後においてもなかったと思う。

それが本作、国際的にも評価が高く有名な日本のカルトと映画『殺し屋1』。コミック原作ながらも、クエンティン・タランティーノやイーライ・ロスにも大きなな影響を与えた作品。『キルビル』や『ホステル』などの人気シリーズからも本作の影響がうかがえるほど。

さてあらすじは、SM偏狂の安生組の若頭・垣原(浅野忠信)が、失踪した親分の行方を追う。そしてどの組にも属さないアウトローのジジイ(塚本晋也)率いる殺し屋に消されたことを知り、殺し屋「イチ」を追い始めるのだが…。


謎めいたようで筋の通ったよくできたストーリーだ。原作がいいこともあるが、この原作を見事に映像化した三池監督の感性にも驚かされる。

オープニングからの歌舞伎町、ヤクザ、音楽と共に疾走するアドレナリンマックスの映像。『デッド・オア・アライブ』を越える緊張感と迫力。

CGなどを駆使して「1」を映像化しているのだが、技術的な古さはありつつも、残酷なスプラッターでありながら金髪顔面ピアスの垣原メイクのスタイリッシュな色合いで疾走する本作は10年前に作られたとは思えないほど、今見ても新しさがある。


強烈な暴力の嵐で、誰もかつて映像化を試みなかったような、舌切りのシーンの迫力は映画史に残るほどだと思える。

また役者もいい。主演の浅野忠信はもちろん、イチを演じる大森、ジジイの塚本晋也、金子のSABU、またクエンティンタランティーノの『キルビル』出演のきっかけにもなった、菅田俊と国村隼。脇の脇を固める役者も三池映画の常連組が揃っていて素晴らしい。個性的な顔ぶれが揃っていて、よくこの顔ぶれで一本取ったと思うほど。


「人に痛みを与える時は、もっと愛をこめなきゃ」
ぶっちぎりのR-18で見るものを圧倒する痛みのオンパレード。

殺し屋を追うヤクザの物語というだけだが、その本質は変態同士の戦いを描く話なのだが、それが人間の本質を突いている。ただ痛いだけではない、「なぜ人間は暴力を求めるのか?」という哲学がある。

SとMの男同士のラブストーリー、という未だかつて描かれなかった物語ではないだろうか。それは欲望がうごめく歌舞伎町の裏社会を舞台にすることで初めて描くことができた話なのかもしれない。

ストーリーのよさでいうならコミックの影響であるが、映像化された本作では、ラストシーンが原作とは違い、難解で意味がよく分からないものになっている。この物語の解釈を観客に委ねているような終わり方が、後で考えさせられる内容だ。


しかし青空の高層マンションの屋上での決闘、というラストは実験的でもあり、素晴らしい。青空の元で対峙するど派手な服装の垣原とイチのコントラスト、原作に忠実でありながらも、三池監督は完全にオリジナルな殺し屋1の映像化に成功したといえる。

イーライ・ロスの『ホステル』シリーズなど本作から影響受けた映画が世界中にあるが、日本でこのような超残酷ながらも哲学的な映画が生まれたことは、カルト映画の歴史に永遠に刻まれ続ける偉大な功績のひとつだと思う。

本作を越える衝撃の暴力映画は、後にも先にも出てこないだろう。

Written by kojiroh

『息もできない』(2008年、韓国) ― 9.0点。驚愕のシバラマ映画

『息もできない』(2008年、韓国) 130min
監督・脚本・編集・制作:ヤン・イクチュン
出演:ヤン・イクチュン、キム・コッピ、イ・ファン、チョン・マンシク:マンシク、ユン・スンフン:ファンギュ、キム・ヒス、パク・チョンスン、チェ・ヨンミン

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

世界が絶賛、ヤン・イクチュン監督・主演による長編処女作。低予算で作られた映画とは思えぬ完成度、迫真の演技陣。作品開始の冒頭から、暴力、暴力、暴力と、自主制作ならではの異常なテンションで観るものを圧倒する。

主人公のサンフンは子供の頃の家庭内暴力により、すべてのものを愚弄する凶暴な男として育ち、友人マンシクと始めた取り立て屋として日々を送る。そんなサンフンがある日、女子高生(ヨニ)と出会い、口論をきっかけにお互いに荒んだ家庭環境を持っていることから惹かれてゆく。しかし、知らず知らずのうちにヨニの弟がサイフンの子弟になったとき、運命の歯車が輪廻のごとく狂い始める…。

荒れた家庭に絶望しつつ孤独なサイフンとヨニの純愛ストーリーでもあり、失われた家族の再生の物語でもあり、結局は暴力が暴力を生み、破滅へ向かう悲劇でもある。暴力と家族に迫った胸を打つ物語であった。

「韓国の父親は最低だ。どいつもこいつも家の中じゃ金日成気取りか!」
この監督は韓国の家庭に対して否定的な立場を取ってるように思える。近年、問題視されるような韓国の陰湿な社会情勢を象徴しているかのようだ。監督自信の実体験に基づくコンプレックスをすべてぶつけるような強烈な作風には、ただただ驚愕であった。

「シバラマ(バカ野郎、FUCK YOU)」という韓国語の罵倒が嵐のような暴力とともに鳴り響く。韓国語を知らない筆者でもすっかり頭に残ってしまったほどだ。

「バカヤロー」というセリフだけで映画を作るという行いは、北野武の『その男、凶暴につき』や『ソナチネ』から始まったとも言える。粗野で凶暴な人間を徹底して描き、セリフはバカヤローだらけ。単純な手法であるが、そうすることでも面白く、逆に徹底して暴力的な映画に仕上げることに成功している。北野武同様、まさしく監督と主演の両方を成すヤン監督だからこそできる領分だ。

北野映画のそれにも通じる部分があるが、本作ではそれ以上に気性が激しく怨念深い韓国人の特徴がにじみ出ている、文化的にも興味深い作品だと感じた。

そんな中でも少女との純愛や、姪っ子との愛情が交わされてゆく姿は、不器用ながらも純粋で、葛藤しながら乗り越えてゆく家族の人々の成長には心暖まるものがある。

ドキュメンタリータッチのような低予算な手法で荒々しくも感情豊かに描かれる本作であるが、完成度を越える強い情熱を感じさせられる。資金繰りにも困り、監督自身が映画の中の登場人物のごとく金を借りまくり執念で完成させたという逸話があるのも納得してしまった。

ともかく、まだ若手ながらも監督・脚本・主演・編集をすべてこなしたヤン・イクチュンの才気には脱帽としか言いようがない詩的な情緒もある傑作だった。

最後は涙なしに観られない。

Written by kojiroh

『アウトレイジ』(2010年、日本)、―9.0点。新しい時代に送る映画


『アウトレイジ』(2010年、日本) 130min
監督・脚本・編集: 北野武
音楽:鈴木慶一
出演: ビートたけし、三浦友和、椎名桔平、加瀬 亮、國村 隼、杉本哲太、塚本高史、中野英雄、石橋蓮司、小日向文世、北村総一朗

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

冒頭から典型的な黒い車のヤクザ軍団。鈴木慶一の音楽、迫真の表情のアップ、黒い車と赤いランプが4台重なる独創的なシーン、渋い声の会話で始まるヤクザなバイオレンスエンターテイメント、そして怒涛の罵声と暴力。

北野武の最新作『アウトレイジ』はかつてないほどカッコよく、怒鳴りあいの役者合戦が展開されるエンタメ暴力劇だった。かつてこんなドキツイ暴力で、笑えるような楽しさを見せてくれる映画があっただろうか。それでいて北野武らしい遊びの映像アイディアも随所で見られる。キタニストにとってはお腹一杯の一作だ。

あらすじは単純で、巨大暴力団組織・山王会組長の関内(北村総一朗)が若頭の加藤(三浦友和)に、池元組の組長・池元(國村隼)に苦言を申し、村瀬(石橋蓮司)組と池元の関係が悪化し、配下である大友組の組長・大友(ビートたけし)にその厄介な仕事が任される。こうして、ヤクザ界の生き残りを賭けた戦争始まる…。

寡黙なたけし映画にしては珍しく、本作は会話も多く、一瞬のアクションシーンで、パッパと展開が進む。分かり安いベタな展開で紛争が起こり、広がり、黒幕の陰謀に翻弄されつつ破滅に向かう。

過去の名作『ソナチネ』にも似た展開だ。しかし、激しく、残酷で、逆に笑える展開の速いバイオレンスは、過去にはないエンタメ要素を感じる。花村萬月さんの『笑う山崎』にも通じる残酷で奇抜な殺し方がある。

出演者も今までの大杉蓮や寺島進などの常連・武軍団は息をひそめ、三浦友和、椎名桔平、加瀬亮、國村隼、石橋蓮司、小日向文世、杉本哲太、北村総一朗、塚本高史、中野英雄など、日本の超名脇役・準主役クラスの俳優たちが脇の脇まで集っている。こんなに個性的な顔ぶれが罵倒合戦をするファンにはたまらないラインナップだ。

「ぶち殺すぞコラ!」
「なめてんのかコラ!」
「俺たちはコケにされてんだぞ、お前らわかってんのかぁ!」

この罵倒の演技は病みつきになる中毒性がある。特に、椎名桔平と加瀬亮のキレのある演技には、なかなかシビれる。北村総一郎の会長役としての貫禄ある演技も悪い奴ながら圧巻。どこかカッコいい。

「指つめるのはいいから、金持ってこい」
「今の時代はね、金より、出世ですよ」

というような主張が誇張されていたのだが、その点が「ソナチネ」の時代の価値観とは変わっている。「3-4×10月」でもケジメとか仁義とか男の美学を主張していたのだが、今回登場するヤクザは仁や美学よりも、金や出世など合理的に悪さをしている。そして悪い奴が上にのし上がっている。この辺の描写が時代に移り変わりを表しているように筆者は感じた。

その他も、途上国の日本大使館ビジネスを展開したり、グローバル化の歪みを利用してヤクザな金儲けをするのだ。シャブよりカジノと株で金儲けする合理的で知的なインテリヤクザの登場など、ヤクザでも古い価値観は死んでいっているのかと思わされる。

しかし、これはもしかして、変わりゆく現代ヤクザだけではなく、たけし自身が深く関わる芸能界の現状を示唆しているのかもしれない。

たけしがデビュー作『その男、凶暴につき』から、ヤクザを描き続けている理由は、もしかするとその構造自体が、自信の属する芸能界と似ていることを訴えたかったのではないか。

だからこそ、この年齢になっても、これだけエネルギッシュで、暴力的で破壊的な映画を創れたのかもしれない。芸能界への不満の衝動が、たけしの創作活動の根源にあるのかもしれない。

特に近年、引退した島田紳助の事件に対して、たけしは苦言を吐いていた。新しい人をもっと起用して、古株を引退させないといけないと主張していた。しかし未だに古株がのさばっている現状の芸能界に呆れていたのだと思う。視聴率も下がって、質も下がって、にもかかわらず、ヤクザ体質は変わらない。

本作、『アウトレイジ』はそんな古い体制に対する強烈なメッセージなのだ。

古い人間、古い構造は死ぬべきだ。見ろよ、やくざの世界もこんなに変わってるぞ。芸能界よ、目を覚ませ。

そんなメッセージを、北野監督は、『アウトレイジ』を通じて訴えたかったのではないだろうか。だから、Outrage(侮辱・非道などに対する激怒)なのではないか。

非情なまでに古いタイプの人間が死に、古い構造が崩壊する。創造的破壊的現象を示唆する。

芸能会に蔓延るドン(老害)をぶっ殺せ!!
そして若者よ、新しい時代を築くのだ!!

Written by kojiroh

※引用元
アウトレイジ、新時代へ送る映画|世界の始まりとハードボイルド
http://blog.livedoor.jp/koji_roh/archives/4979821.html

『冷たい熱帯魚』(2010年、日本) ―9.0点。生きること=痛い、狂気のエンターテイメント

『冷たい熱帯魚』(2010年、日本) 146min
監督・脚本: 園子温
出演: 吹越満、でんでん、黒沢あすか、神楽坂恵、梶原ひかり、渡辺哲

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

※リアルタイム映画批評

平穏な家庭のようで、活気のある熱帯魚屋のようで、何かが狂っている。
何かが起こりそうな不気味な家庭と街、熱帯魚。

冒頭から神楽坂恵が冷凍食品をカートに入れて荒々しく買い物をし、食卓を作るシーン、これをしょっぱなから展開させるという狂った発想。オープニングから30分してようやく「冷たい熱帯魚」のタイトルが登場する遊び心にも惹きつけられる。

こんな引き込み方をする映画は今まであっただろうか?
どう転ぶか分からない展開に2時間半、冒頭からクライマックスまで、釘付けになった。

いや、園監督は本当に自分の世界に観客を引き込ませる天才だ。

さて、筆者は早稲田松竹にて園子温監督の特集上映を見に行った。『冷たい熱帯魚』と『紀子の食卓』の二本立てだった。マニアックな監督の作品のはずなのに、立ち見上映になるほど園子温フリークで狭い早稲田松竹は埋め尽くされていた。上映される時はなにやら熱気も感じた。

まず一作目は『冷たい熱帯魚』。
名前からは想像もできないような強烈な猛毒映画で衝撃を受ける。

園子温本人が自らの最高傑作と認める『冷たい熱帯魚』は、実際の猟奇殺人事件からインスパイアされた映画だ。ストーリーは、小さな熱帯魚店を経営する社本一家の娘のトラブルで、同じく熱帯魚店を経営する村田幸雄に助けられて交友を持ち、一緒にビジネスをやることを持ちかけられるのだが、彼の悪魔のような驚愕のビジネスに巻き込まれてゆく…。


強烈な個性と狂気の域まで達する演技陣、何かを心に溜め込んで歪んでいる人々の侠気が映し出されている。神経衰弱した熱帯魚屋の店長、ズボラで駄目だが欲深い奥さん、熱帯魚ビジネスを大規模に展開すお金持ちオーナーの村田、謎めいた妖艶な村田の妻、不用意にカットせず、長回しで迫真の演技を見せる迫力は尋常ではない。


いつもの園子温流の個人に迫ってナレーションで心情や人生を語るような手法は封印し、ひたすら狂った事件を不気味に、謎めいた視点から描き、突如として嵐のようにやってきて巻き込まれる事件、そこからはスプラッターサスペンスだ。それでいてユーモアやエンタメ要素もある、なんとも不思議な映画だ。

この手のジャンルの映画ならば、三池の『殺し屋1』があるが、それにも匹敵するすさまじい残酷描写、しかしその中にもちゃんとした人間哲学である。

「警察を、やくざを敵に回してでも、俺は自分の足で、一人で立ってるんだ」
でんでん扮する怪物”村田”の狂気の演技が忘れられない。
時に長回しでノーカットで見せる異常なテンションでしゃべり、怒鳴り、そしてスプラッターの世界へ。まさに怪物。よくもまあ、こんな人物像をフィルムに焼き付けることができた。それには脱帽するしかない。本作のでんでんの演技は、『イングロリアス・バスターズ』のクリストファ・ヴォルツに匹敵する、それほどの狂気、殺意がある。


しかし言うなれば、この映画の人物は全員、狂人だ。
安泰な日常に身を置いて何かに我慢し続けているが、過去のコンプレックスと戦い続けているが、日常と言う砂漠によって思考停止し、怠慢ながらも日常を守り続けることを選び、結果として気がついた時には狂っている。

園監督はいつも、そんなのほほんとした日本人を徹底的に否定し、そして破壊してくれる。

『紀子の食卓』や『愛のむきだし』でもそうだが、安泰に思われた家庭が一つの事件によってたやすく崩壊する様を描いているのだ。

社会的に家族が崩壊、そして個人も人格崩壊。彼の描く日本人像は、永遠に続く安全な日常、そこで淡々と生きつつも何かが壊れている表面的な家庭、それを盛大に、時に残酷なまでにぶっ壊すのだ。

本作では、日常の不満を口に出さず神経を衰弱させておどおどして、何事も他人任せでのほほんと生きている男の人生を、人の弱みに付け込んで利用する狂人によって破壊される。

それによって初めて、「人生は痛い」ものだと気付くのであった。

というわけで個人的な趣味もあるが、ここ10年間ぐらいで最もすばらしい日本映画かもしれない。観終わった後に、そう思わせるほどの力がある、あまりにも強烈な映像世界だった。

Written by kojiroh

『地球で最後のふたり』(2003年 タイ=日=仏=蘭=新) ―9.0点。美しい孤独と、そして国境を越えた愛

『地球で最後のふたり』(2003年 タイ=日本=フランス=オランダ=シンガポール) 107min
監督:ペンエーグ・ラッタナルアーン
脚本:ペンエーグ・ラッタナルアーン、プラープダー・ユン
撮影:クリストファー・ドイル
出演:浅野忠信、シニター・ブンヤサック、ライラ・ブンヤサック、松重豊、竹内力、ティッティ・プームオーン、三池崇史、田中要次、佐藤佐吉

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

浅野忠信が2003年ヴェネツィア国際映画祭 コントロコレンテ部門で主演男優賞を受賞した、アジアの才能が集結したラブストーリーの秀作。

タイのペンエーグ・ラッタナルアーン監督、クリストファー・ドイルの撮影による繊細なる映像美が孤独なふたりの生活をを美しく描いた。

あらすじは、バンコク日本文化センターで働く日本人ケンジ(浅野)の元に、兄であるヤクザのユキオ(松重)が、日本でトラブルを起こし、バンコクのケンジの元に身を寄せる。自殺願望があり、潔癖症のケンジは孤独な生活をバンコクで送っていたが、兄のトラブルに巻き込まれ、家を飛び出す。自殺を考えて橋に立つケンジだったが、そこでの偶然の事故を通してタイ人女性・ノイ(シニター・ブンヤサック)と知り合い、奇妙な共同生活が始まる…。

英語と、つたないタイ語を話してコミュニケーションを深めてゆく浅野忠信とシタニー・ブンヤサックのふたりの掛け合いが特に印象深い。滑稽なようで、言語を超えた交友、そして愛が生まれる瞬間が美しく描かれているように思える。

「ひとりぼっちより、嫌いなヤモリに囲まれた方がましだ。」
ストーリー中登場する「さびしさの彼方を」という絵本の中の一説。この絵本の引用とともに、ケンジの自殺願望と孤独が描かれる。追い詰められてこの世の果てにいるかのような彼の元に舞い込む最後の希望がノイとの出会いだったのか。特に肉体関係があるわけではなく、純愛と呼べるような美しい物語だ。

清潔家で潔癖症なケンジと、がさつで大雑把なノイの対照的な二人の組み合わせが水と油なのだが、それでも次第に心を交わし始めるシーンには不思議な感動を覚える。タバコで汚すノイのシケモクを掃除し、最後には灰皿のアクセサリーをプレゼントするシーンなど、微笑ましい。この世の果ての最後の希望、そして大阪へ。

ふたりの演技だけでなく、やくざ役で竹内力が出演していたり、あの三池崇史監督までもが、やくざ役で出演している。奇跡的な怪演とも呼べて、なんだか微笑ましい。『殺し屋1』のポスターがさりげなく出てきたり、セーラー服のクラブなど、日本文化へのオマージュが随所に見られるマニアックな演出が見所の一つ。

本物の兄弟であるノイとニットの組み合わせもいい味を出している。この実在の姉妹の死別が、妙にリアリティがある。


恋の始まりを描いたとも呼べる、極めて詩的な作品、その美しさと、ふたりの純粋な心がクリストファー・ドイルの巧みの撮影によって具現化されている。水道から滴る水、シニター・ブンヤサックが幻想的に風で飛び交う紙切れと戯れるシーンや、開始30分してようやくタイトル「LAST LIFE IN THE UNIVERSE」が表示されるような実験的とも言える演出が面白い。

美しい作品である反面、具体的な言葉は少なく難解な映画でもあった。なぜケンジがタイに来たのか?ラストシーンの意味などもよくわからず物語は曖昧な形で終わってしまう。最後の意味は、究極の孤独か、それとも孤独の果てにひとつの希望を見出したのか、ショートカットになったノイと、普段吸わないはずのタバコを吸いながら薄笑うケンジの表情が忘れらない。

しかし、エンドロールと共にそんな心のもやもやを残してしまう映画だからこそ、見れば見るほど奥深い作品に仕上がっている。見るごとに発見がある。そして本作の詩的で繊細な国境を越えた愛の模様には、ただただ心が打たれる。

Written by kojiroh

『エグザイル/絆』(2006年、香港)  ―9.0点。美学に生きるクールな5人の男たちを映した香港ノワール

『エグザイル/絆』(2006年、香港)
監督:ジョニー・トー
出演:アンソニー・ウォン、フランシス・ン、ニック・チョン、ラム・シュ、ロイ・チョン、サイモン・ヤム、ラム・カートン、ジェシー・ホー、リッチー・レン

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

ハリウッドでのリメイクも決定している2000年以降の香港ノワールの秀作。香港アクション映画の巨匠 ジョニー・トーと、『インファナル・アフェア』のスタッフ・出演陣がタッグを組んで生まれたのが本作『エグザイル』だ。

アンソニー・ウォン、ニック・チョン、フランシス・イ、『インファナル』シリーズの出演陣がよりハードボイルドにガン・アクションを織り成す。これだけでもファンにはたまらない一作だ。

しかし、ミーハーな魅力だけでなく、よくできた脚本と洗練された演出、殺陣の緊張を盛り上げる音楽、「パーフェクト!」と拍手を送りたくなるほど完成度が高い。マフィア、マカオ、銃、渋いサングラスの黒い男たち、そして友情。香港のクールな男たちの姿をこれほどカッコよく映した作品は他に類を見ない。男だらけの物語なのにも関わらず、暑苦しさを感じない。信念を貫き、絆を守る。武士にも通じるモノがある。

さて、本作のあらすじは返還前のマカオを舞台を舞台にした西部劇のようでもある作品だ。マフィアのボスの命令で、旧友であるウー(ニック・チョン)を殺すことになった2人の男(アンソニーウォン&ラム・シュ)と、ウーを守る2人の男(フランシス・ン&ロイ・チョン)がいた。その5人はかつての仲間だった。決闘の末、ウーを殺すまでに、家族のために金を残すことを約束し、5人が再びチームとなり、危険な仕事に手を出すのだが…。

奇妙な縁に巻き込まれてゆく5人の男たちだが、最後まで仁義を貫き、自らの美学に生きる。合理的に生きるズルい姿ではなく、絆のために命をかける人々なのだ。

最後になると、西部劇的なお決まり的なベタにも思える展開をも見せるが、けして陳腐ではない。細かい演出や、小役や小道具が素晴らしいとしか言い様がなく非常に新鮮な映像だ。

コインを投げて、表裏どっちかで決めていた人生を、最後に投げ捨てる。蹴り上げられたレッドブルの空き缶、ラストシーンの男たちの姿は、少しカッコつけすぎだ。

(Written by kojiroh)

オーディション(2000年、日本) ―9.0点。キリキリ響く、美き恐怖の痛み

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『オーディション』(2000年、日本)
監督: 三池崇史
原作:村上龍
脚本: 天願大介
撮影: 山本英夫
出演: 石橋凌、椎名英姫、国村隼、松田美由紀、大杉漣、石橋蓮司

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

TIME誌が選ぶホラー映画ベスト25で第3位に選ばれた唯一の邦画、と言えば本作『オーディション』である。2000年のロッテルダム映画祭で本作が上映された際は、エチケット袋を用意され、記録的な退場者を出した、恐ろしい作品なのだ。

さらにクエンティンタランティーノが選ぶ92年以降の映画ベスト20で3位に選ばれている。他にも、『ホステル』シリーズで有名なホラー映画監督 イーライ・ロスや、ジョン・ランディス、ロブ・ゾンビなど名立たる映画人も大絶賛している。

これらの評価を見る限り、只者ではない映画だと思った。日本ではレンタルビデオ屋では置いてない店も多いほど無名ながらも、世界的評価が日本映画の最高峰に君臨するカルト映画だ。

「なんらかの訓練を受けていて自立した女性ではないと、依存してしまい結婚生活は上手くいかない、どうやって結婚相手を見つけようか」
妻に先立たれた主人公の青山(石橋凌)は、旧友の吉川(国村隼)とこんな相談をする。そして映画制作のオーディションをして、再婚相手を探そうとする。大人の事情でオーディションを使って相手を探すという裏事情。そこで、美人で教養も深い山崎(椎名英姫)と出会い、交友を深め、青山は彼女の虜になってしまうのだが…。そこから恐怖のストーリーがゆっくりと幕を開ける。

ラブストーリー、美しい世界から急転して残酷ホラー映画へと転落するその落差が異常な恐怖感を誘う。

それにしても、なんと恐ろしくも美しい映画なのだ。大人都合の身勝手な話であり、リアリティある社会風刺にも思てしまう。残酷な描写には、皮肉にもメッセージ性があるのだ。

正常で清楚に思えた人が、サイコでスプラッターな素性を持ち、イメージを豹変させてしまう姿には鳥肌が立つ。本当に恐ろしさを感じるのだが、そこに人間の恐ろしさの本質を見るからだろう。幽霊や化け物よりも、怖いのは人間なのである。

そんなホラー映画としてだけでもなく、サスペンス映画としても非常によくできている。突如失踪した彼女を追うべく、謎めいた履歴を下に、バレエ教室、バイト先のバーにまで至る。真相に近づくにつれて恐怖のボルテージが上がり、徐々にサイコ色を強めて行くストーリー展開は圧巻だ。

さらに、この映画は小道具の出し方が本当に上手い。木造のボロアパート、黒電話、そして不気味に動く謎のボロ袋。このシーンだけでもホラー映画史を代表するような映像だ。鳥肌が立つほど恐ろしくも見事なシーンである。

恐怖をすぐに見せずに、様々な回想や幻想を交えて、真実を見せてゆく手法は、三池監督の才能としか言いようがない。

最後に、渋い演技を見せる国村隼の警告の一言が頭に残る。
「美人で育ちも良くて、そんな女がすぐに手に入るなんて、何かおかしくねえか?人生、そんなに簡単なもんじゃねえって」

その警告を無視して欲に走った主人公の末路を思うと、皮肉にも、または生きる上での真理であるようにも感じる。オーディションで女を口説くという裏事情にある人間の欲望。そうとも、本作は腐敗した社会に対する警告でもあるのだ。

恐ろしくも、胸に刺さるモノがある。

「言葉なんて嘘だけど、痛みは本当。人は痛みによってしか自分のことを理解できない。痛みによって自分がどんな姿形をしているのか初めて理解できる」

本作のメッセージだ。僕らもこの映画から痛みを感じることで、単調な日常に麻痺して眠っていた感覚が蘇ってくることだろう。

キリキリキリキリ。

恐怖の音が、今や美しい。

『北京バイオリン』(2002年、中国) ―9.0点。人民、北京、音楽芸術の街へ

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『北京バイオリン』(2002年、中国)
監督: 陳凱歌(チェン・カイコー)
出演: 唐韻(タン・ユン)、劉佩琦(リウ・ペイチー)、王志文(ワン・チーウェン)、陳凱歌(チェン・カイコー)、陳紅(チェン・ホン)、程前(チェン・チエン)
章婧(チャン・チン)

【点数】
★★★★★★★★★☆/ 9.0点

“人民”で溢れる北京駅、優雅に流れるクラシック、そして父と少年。

父と子、夢を追う家族と愛の物語。バイオリンの才能のある子供の夢をかなえるために、北京へ上京して音楽コンクールに出て教師を付ける。生活を共にし、トラブルが起きたり葛藤を繰り返し成長してゆく感動のヒューマンドラマ、ってことか。別に大したもんではない、よくありそうな話だ。

さて、今作を手がけるのは、今や中国を代表する巨匠の一人でもあるチェンカイコー監督。今までは『さらば我が愛、覇王別姫』だったり、『始皇帝暗殺』だったりと、さんざんとスペクタクル系な映画ばかりが目立っていたのに、家族愛とバイオリンのお話とは、以前に比べるとずいぶんと縮こまってしまったもんだなと。

しかし、「世界中が泣いた」とキャッチコピーは嘘ではなかった。軽く見てごめんなさい。。この映画は素晴らしい。何が凄いかって、特にこれが一つスゴイというわけではないが、完成度の高い”完璧”に近い作品なのだ。

具体的には、スピーティーで無駄のないカットの連続で、トントン拍子に続くエピソード・ストーリーの嵐に付いて行けないこともなくグイグイ引き込まれる。

撮り方もまた素晴らしい。溝口的で、劇のような構図や演技を重視する。あまり表情を映さず、シーンとしての映像が中心でほぼ8割なのだ。不用意に顔のアップを使わない。だからこそ、ワンシーンの劇としての、演技としての場面場面の緊張感や迫力があるのだ。カットで誤魔化しができない純正な映像だ。それによって、人物が活きる。

そして、登場人物の生き様もいい。それぞれが個性を持ち、各々ダメな部分を見せるのだけど、それがまた人間らしく魅力溢れるキャラクターとして描かれている。

私は冒頭30分ほどで、そんなダメなんだがどこか愛らしい人々を映し出している、この映画の北京の世界にすっかり飲み込まれてしまった。

途中入れ替わってしまうが、2人の先生もいいし、主人公の隣のリッチな家に住むチェン・ホン演じるセレブな浪費家な女が特にいい。気性の荒っぽさが乱暴にも聞こえがちな北京語、そのセンスは完璧だとさえ思った。大人の魅力を振舞き、わがままなことをしつつも、義理人情があって、若いバイオリン弾きの主人公との交友によって、お互いが変わって行く。住んでいる世界は天国と地獄のように違う同じ人民同士がこうして心を交わしてゆくのか。

中華人民共和国という社会主義の抑圧が未だに続く国家が、多くの人民を抱えて暮らしている。そこでも尚、急速な経済発展を遂げつつある反面、格差が広がり、西洋文化も輸入され、そのアイデンティティたるや一体なんなのだろうか。

そんな混沌とした背景から、クラシック・バイオリンという中国では新産業にもなりえる文化によって、この親子はかつての近代からの脱出、飛躍を成そうとしている。そんな姿からは歴史的な重みさえ感じるのだ。

「弾くな、感じろ!」

チアン先生を演じるワン・チーウェンの教えだ。技巧ではなく、心の音楽を教えてくれる。しかし、それは成功を保証してくれない。世の中は残酷だと。

その言葉自体が、この映画を象徴する一説でもある。譜面通りに弾いただけの音では、人の心は動かせない。その音に込められたモノが人を突き動かす。

そう、それは映画も同じなのかもしれない。
最後に泣かせてくれる映画には、単なる脚本のデキや映像の技巧や俳優の演技、それを超越して心を突き動かすモノがあるのだ。何かは分からないが、とにかくこの映画には心がこもっていて、それが何より心地よく響くのだ。

Written by kojiroh

イングロリアス・バスターズ(2009年、米) ―場外ホームランのバスターズ

イングロリアス・バスターズ [DVD]
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売り上げランキング: 2279

『イングロリアス・バスターズ』(2009年)
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:ブラット・ピット、クリストフ・ヴォルツ、イーライ・ロス、メラニー・ロラン、ダイアン・クルーガーetc

【点数】
★★★★★★★★★☆ / 9.0点

2009年12月、クエンティン・タランティーノ監督&ブラピ主演の最新作が遂に出た!と私は興奮した。しかもその話の内容たるや、戦争娯楽作という大衆にまったく受けなさそうなタランティーノらしいマニアックさが、タランティーノマニアの筆者としては、これまたツボだった。

ブラピを隊長とする「キル・ナチス」を使命に戦う殺し屋集団と、ユダヤ人刈りから逃れた少女の反ナチスの闘争を描く。これが『イングロリアス・バスターズ』だ。ナチス兵の頭の皮を剥ぎ取ったり、黙秘により死を選んだナチス上官を「場外ホームラーン!!」と叫びつつ、バットで叩き殺すイーライ・ロスの狂気のシーンなど、もはやスプラッター。『ホステル』シリーズの名物監督がこのような形で登場するとは。まさしくタランティーノ・ファミリーが大集結。キャラ盛り沢山で殺戮も盛り沢山。

ハードな暴力描写も多々見受けられ、『レザボア・ドッグス』(91年)で見られる容赦ない殺戮(父親になったばかりの兵士が取引に応じたに関わらず、あっけなく殺されてしまうなど)が本作でもさらに加速する。しかし、見どころは実はスプラッターではない。カンヌで男優賞を取ったクリストフ・ヴァルツのランダ大佐(ユダヤ・ハンター)だ。

「ユダヤ人は、ラットだ」。巧妙に構成された会話。尋問。これによって、「イヌ」を暴き出す。ユダヤ人をかくまる農園の鬼気迫る空気の中、ランダ大佐はサイコな視線と表情で迫る。最大10分以上だけがすべて会話。今回はドイツ語・フランス語・英語を使い分ける。さすが会話の魔術師、タランティーノだ。

物語の80%以上が会話で構成されていると言っても過言ではない。会話だけで、表情がゆがむ。涙がこぼれる。そして、一瞬で殺戮が終わる。対話によってランダは相手の心を裸にし、一瞬ですべてを奪ってゆくのだ。まさしく名ヒール。ランダは、監督自身がベスト映画と称賛するセルジオ・レオーネの『夕陽のガンマン』(66年)のリー・ヴァン・クリーフに匹敵する。彼の存在が、物語を「ナチス×反ナチス」という単純な善悪の二元論から逸脱させるのだ。三巴の対立による爆発的なフィナーレを盛り上げる。

 やってくれたぜ、タランティーノ。彼自身も街ではビックイシューにも表紙を飾り、ソフトバンクのCMにも登場した。そして、蓋を開けてみれば映画も自身最大のヒット作。

作品公開から一年半以上経った今、思い返しても、このような異質のテーマの映画がこれほどまでに商業的にも成功して稼いだのは異例ではないか。アカデミー賞でもクリストフ・ヴォルツはカンヌと共にダブル受賞。

やっぱりこれは、まさしく場外ホームラン。

(Written by Kojiroh)

※引用:イングロリアスバスターズを見て|世界の始まりとハードボイルド

【点数】
★★★★★★★★☆☆ / 8.0点

牧歌的な日常のなかに、ぴんと張られた一枚の寝具。風に吹かれて翻る向こう側の景色には、ハーケンクロイツをはためかせ近付く、ナチス・ドイツの車輛たち。ここは占領下のフランスだ。観衆は此岸から、自らの持つ歴史の文脈に物語を重ねる。スクリーンに定着するイメージはまた、彼岸に映し出されたひとつのハイパーリアル(hyper reel)を提示しているだけに過ぎない。冒頭から、この物語は映画の不可能性を証明している。巧みにも映画である自明さを持ちこたえながら、誰しもに解読可能な公共の暗号として一枚のシーツを選び、スクリーンに見立てた。

タランティーノ監督2年ぶりの新作は、イタリアのB級作品『地獄のバスターズ』のリメイクだ。物語はナチス占領下のフランスを舞台に、独立愚連隊と化した連合軍の特殊部隊と女スパイ、一方ではユダヤ人狩りを逃れ、復讐を誓う映画館主の女性とドイツ軍の兵卒を軸に描かれた。国策映画の試写会を標的に、ドイツ軍抹殺をはかるバスターズ。時を同じくして、自らの劇場に火をかけてまで失われた家族への想いに報いようとする女主人。それぞれの作戦が始まる。主演には露悪的な造作を施したブラッド・ピット、女主人には自身もユダヤ系のメラニー・ロラン。

シネフィルと呼ばれる者たちは、しかし、この作品の猟奇性と悪ふざけに辟易することだろう。敵兵を殺し、頭の皮を削ぎ落とす光景は戦闘の残虐性を弄び、食事のシーンでは口と菓子とを交互に映しながら、極めて不愉快な音を立てたままドイツ兵とユダヤ人との心理戦を絡める。だが、こうした悪ふざけの数々は極めて精緻な繰り返し構造のなかに用いられており、暴力は観衆に宿る根源的な感覚と呼応し、互いを映すスクリーンの役割を期待した装置に過ぎない。国策映画の主役を演じた兵卒は、首を傾げながら複製された現実を観る。バスターズを率いる男はドイツ兵に鍵十字を刻み、「これが俺の最高傑作だ」とさけぶ。ナチスを呪った女主人は、自らの最期をフィルムに託し、焼け崩れるスクリーンのなかで、いと高らかに笑ってみせる。

映画と現実、彼岸と此岸。ダブル・ミーニングへと託された、絶え間ない往還と反転する交替。これは、映画を誰よりも愛するが故に映画を告発せざるを得なかった男の、かなしい企みだ。

(Written by うえだしたお)